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いかりや長介 ビートルズ

いかりや ちょうすけ
いかりや長介
いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年11月1日 - 2004年3月20日)は、日本のコメディアン、俳優、ベーシスト、ミュージシャン。「ザ・ドリフターズ」(略称:ドリフ)の3代目リーダー。本名:碇矢 長一(いかりや ちょういち)。愛称は「長さん」。ドリフ時代初期は芸名をいかり矢 長介(読み同じ)としていた。ドリフ映画で使われる呼び名は「ゴリラ」「下唇」。東京府東京市本所区中之郷横川町(現在の東京都墨田区東駒形)生まれ。渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに所属していた(他界した現在もイザワオフィス所属扱いとなっている)。身長175.2 cm。

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  1966年にはビートルズの前座として、ザ・ドリフターズを率い日本武道館で公演。
仲本のヴォーカルで『のっぽのサリー』(Long Tall Sally)を演奏した。
ベーシストとしては、日本におけるチョッパー奏法の元祖と語られることがあり、2001年の自著『だめだこりゃ』でも「いかりや奏法」「いかりや弾き」「長介弾き」という言葉には躊躇いつつ呼称への感謝を書き留めている。
「ベーシスト・いかりや」が思い起こされたきっかけは、近田春夫が風化しつつある和製洋楽でロカビリー音楽に触れたコメントがもととされる。
いかりやは戦後日本のカントリーミュージックで代表格のジミー時田とマウンテン・プレイボーイズに在籍しその頃はウッドベースからエレキベースギターに転向かまたは兼任するプレーヤー達の弾き方主流スタイルはこの「親指弾き」だった。
マウンテン・プレイボーイズ、ドリフターズ両方の元メンバーで親友ジャイアント吉田は「(当時のステージレパートリーで主流のカントリー&ウエスタンや、ロックンロールに)このチョッパー奏法と呼ぶものは(エレキ・ベース・ギターでは)不要でやったことはない」と、語っている。
この再認識について、いかりやのバンドマン時代を知らない若年層、俳優やコメディアンにとってはいかりやが演奏する姿が新鮮で、前述の通り「いかりや奏法」「いかりや弾き」「長介弾き」という俗語が生まれたが、いかりやのミュージシャンとしての活動最盛期はビートルズ以前の時代で、現代では古典的な奏法からスティングも同じ演奏スタイルで有名な事から目立ったが特に際立った奏法ではない。
ただし、日本においてフェンダー製エレキベースを使用し表舞台に立ったベースプレーヤーとしては先駆け的存在である。
なお、事務所の後輩でのちグループ・サウンズブームを牽引したザ・ワイルドワンズのベーシスト島英二によると、いかりやは当初は島の勧めでピック奏法を試みたが、ピックが邪魔でコントに支障をきたすため親指奏法に切り替えたという。
2018/1/20(土)
   
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