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ザ・ドリフターズ ドリフ大爆笑

ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ(The Drifters)は、日本の音楽バンドおよびコントグループである。1969年頃までバンドを主活動とし、それ以降は主としてコントグループとして活動した。通称はドリフ。1970年代から1980年代中頃を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組で活動した。現在は、グループで活動することはほとんどない。

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  ザ・ドリフターズ(The Drifters)は、日本の音楽バンドおよびコントグループである。
1969年頃までバンドを主活動とし、それ以降は主としてコントグループとして活動した。
通称はドリフ。
1970年代から1980年代中頃を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組で活動した。
2017年現在、解散はしていないがグループで活動することはほとんどない。
お笑いとしては、グループを生かした色々なパターンを生み出す。
特に『ドリフ大爆笑』の「もしもシリーズ」では、ボケと突っ込み以外の「呆然とするいかりや」で笑いを取るという新しいパターンを生んだ いかりや自身は、自らのグループを「お笑いの能力は一流でない」と卑下し、新生ドリフ初期のライバルであるコント55号に対抗する意味で、アドリブ無しの徹底的に練られたストーリー作り、練習でカバーし、土曜8時戦争と呼ばれるお笑い番組の視聴率争いで、長年にわたって優位を保った。
『8時だョ!全員集合』、『ドリフ大爆笑』、テレビ朝日『ドリフと女優の爆笑劇場』等の番組にゲスト出演した一流俳優、一流女優、アイドル歌手、演歌歌手までが、番組内では本来のイメージを越えた役作りやギャグをすることをバーチャルなお笑いドラマやコント出演としてファンからも許されたばかりか、ドリフと一緒にコントをやりたいために自ら希望して演じる者も多数出てきた。
そういったゲストからお笑いとしての個性を引き出され、新たな方向性や個性をも作っていった者も少なくない。
また、実際に主に立ち回りながらしゃべって笑いを引き出すのはメンバーであっても、ゲストが笑いの中心であるように見せる企画力や技術もあり、この点ではドリフに対する信頼の高さをうかがわせた。
ボーカル担当。
ドリフ脱退後に人気が爆発し、一世を風靡したロカビリー歌手。
平尾昌晃、ミッキー・カーチスと並んで「ロカビリー三人衆」と呼ばれる。
実父は落語家で喜劇俳優の柳家金語楼。
本人はコメディの分野には進んでいないが、『ドリフ大爆笑』に1977年ブームでロカビリーブームのコントに出演している。
1974年3月、荒井が脱退し、志村が正メンバーとなる。
しかし、新人志村が軌道に乗らず人気に陰りが見え、萩本欽一の番組(フジテレビ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』)に再び押され気味となる。
1976年、志村は東村山音頭をヒットさせ、加藤・志村のヒゲダンスも人気を集め、再びドリフはお笑い界の頂点に返り咲く。
また、翌1977年には『ドリフ大爆笑』、すわを含めた6人構成の『飛べ!孫悟空』が開始される。
この絶頂期は1980年代初頭まで続く。
1983年頃には、いかりやとスタッフ、およびいかりやと加藤&志村組の不協和音が見られるようになり、全員集合は視聴率で『オレたちひょうきん族』に抜かれ、ドリフ人気に再び陰りが見え始める。
そして1985年には16年間続いた全員集合が終了、さらに同年に全員集合の終了と相前後する形ですわが付き人を辞めた。
1990年代半ば、志村のゴールデンタイムのレギュラー番組が終了すると、『大爆笑』にて久々に5人全員のコントが復活するようになる。
2000年代に入ると「ザ・ドリフターズ」として集合することは、さらに少なくなったが、それぞれバラエティーやトーク番組、ドラマや舞台、CMなどに出ていた。
1999年末に富士フイルムのテレビCMで荒井を含めて、久々の6人による「全員集合」となり健在ぶりを見せたが、荒井は翌2000年2月8日に肝不全のため死去 2001年8月に『第33回思い出のメロディー』出演、大晦日には『第52回NHK紅白歌合戦』に正式な歌手として最初で最後の出場を果たす そして2003年12月8日、『ドリフ大爆笑』の最新オープニングの収録に臨み、2年ぶりに5人揃っての「全員集合」となったが、翌2004年3月20日にリーダーのいかりやがリンパ節がんのため死去 2005年、『中居正広のテレビ50年名番組だョ!全員集合笑った泣いた感動したあのシーンをもう一度夢の総決算スペシャル』でワンコーナーの短い時間ながら、中居と4人のメンバーでコントをした。
この後は長らく現存メンバー4人が共演してコントを披露する機会はなかったが、2017年に志村の冠スペシャル番組である『志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル』において12年ぶりのコントがおこなわれ、3月15日に放映された。
これが現時点で公開された最後のドリフのコントである。
2017年現在も解散宣言は出されず、最後の1人が死去することによって終焉を迎える自然消滅という形を採る。
なお、いかりやの死去以降はリーダー制がなくなり、誰がリーダーだという取り決めは特に無いが、桜井リーダー時から在籍する最古参であること、現ドリフメンバーの中ではいかりやと最も古い付き合いであること、インタビュー時には代表としてコメントする機会が多いことなどから、加藤が実質的なリーダーである。
現在は、高木が80代半ば、仲本と加藤が70代と高齢になってきているので、徐々に目立った活動は減ってきているが、60代後半である志村は相変わらずTVを中心に舞台公演なども精力的にこなして活躍している。
『8時だョ!全員集合』と共にドリフの代名詞ともいえるテレビ番組で、『火曜ワイドスペシャル』の月1回企画として放送された。
現在、新作は製作されていないが、2003年12月23日、年末特番として編集版放送の際、オープニングとエンディングが新しく撮り直された。
2003年では、1983年の時に踊っていたスクールメイツの娘がスクールメイツとして踊ったりと、歴史を感じさせた。
リーダーのいかりやが翌2004年に死去したため、この映像がメンバー5人が一堂に会した最後のものとなった。
なお、このドリフとしての最後の映像は、2003年12月8日に撮影されたものである。
このタイトルの後ろに、「ドリフ大爆笑'77」など、その年の西暦のうちの下2桁の数字が付く。
前述のCM出演(2000年放送)や、NHKの歌番組(第32回思い出のメロディー)でのコントと歌のコーナー出演(2001年)、同じく上記の紅白への出演、『ドリフ大爆笑』の総集編のオープニングとエンディング新収録(2003年放送)など、2000年以降に於いてほぼ一年に一度は、早期に脱退した綱木を除くメンバーが全員集合する機会や企画がとられていた。
2代目:「隣組」の替え歌。
1978年から使われ、2代目の方が世間的に広く親しまれた。
歌い入り物はレコード及びCD化はされていない。
しかしながらイントロを「ラーミーファ#ーソラーラソファ#ソファ#レラー」部分までカットしたインストバージョン(カラオケバージョンと言ってもよい)は、『ドリフ大爆笑』のDVD-BOXのメニュー時のBGMとして流れている。
「月月火水木金金」の替え歌(上記『ドリフ大爆笑』のテーマとは歌詞が異なる)。
2017/3/27(月)
   
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