このエントリーをはてなブックマークに追加
Tweet
当サイトについて

◆ 最新芸能人一覧

新川優愛


島崎遥香


山崎賢人


戸田恵子


加藤一二三


SKE48


岡田圭右


戸田恵梨香


>>もっと見る

ザ・ドリフターズ 付き人

ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ(The Drifters)は、日本の音楽バンドおよびコントグループである。1969年頃までバンドを主活動とし、それ以降は主としてコントグループとして活動した。通称はドリフ。1970年代から1980年代中頃を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組で活動した。現在は、グループで活動することはほとんどない。

画像ページ

画像ページ

画像ページ
  新生ドリフになってからはメンバーはほぼ固定され、5人の構成が取られるようになった。
ただし、荒井注の活動休止宣言(実質的な脱退宣言)の際には志村けんが正式見習いとして加入し、一時的に6人構成となった。
また、いかりやの著書にも記述されているように、すわしんじ(現:すわ親治)の活躍ぶりにより、正メンバーではないが彼を6人目のメンバーと見なす解釈もある。
他に付き人は大勢在籍していたが、メンバーとして紹介されることはない。
さらには、人形ながらもジャンボマックスがメンバー扱いされる記事も見受けられる。
いかりや没後には新メンバーを加入させる予定はなく、現在4人の構成となっている。
放送大学教養学部卒業(社会人学生として)。
1968年、いかりやに直々に懇願しドリフの付き人となる。
しかし、1年余りであっけなく脱走。
志村の著書では、あくまで「社会勉強のための休養」となっている。
その後、加藤の口添えで出戻り 加藤の付き人兼加藤家居候を経て、お笑いコンビ「マックボンボン」を結成し、日本テレビ『ぎんぎら!ボンボン!』も担当したが、人気が出ず2年余りで解散。
しかし、脱退する荒井の後釜として1973年12月にドリフ見習いとなり、1974年3月9日に正式メンバーになる。
交代後2年近くはギャグが受けずスランプ状態に陥っていたが(かといって全然受けなかったわけではない)、東村山音頭で一気にブレイクして子供たちの人気を獲得し、さらに新たなネタやギャグを連発。
やがてドリフ内では加藤を超える人気者になった。
『徹子の部屋』出演時の本人の証言によれば、1963年頃付き人をやっていた。
付き人
1972年に志村が結成したマックボンボンの最初の相方。
志村と共に冠番組の『ぎんぎら!ボンボン!』に出演していた。
また1969年、ドリフの映画『ドリフターズですよ!全員突撃』にガードマン役として出演 やや強引な売り込みが祟ってのネタ切れによる人気低迷で『ぎんぎら!ボンボン!』のリニューアル番組『シャボン玉ボンボン』が打ち切りになった後、失踪。
付き人
志村が結成したマックボンボンの井山失踪後の相方。
自衛隊出身であり、「自分は芸能界でなくてもやっていける」と強気でコンビ結成後の練習に身が入らず、マックボンボンは自然消滅的な形で解散の道をたどる。
いかりやはこのメンバーを急場凌ぎと捉え、いずれ整理しようと自著『だめだこりゃ』に記している。
音楽面に有能なメンバーに去られ、新メンバーは音楽面では劣ると見ていたから(特に荒井は満足にピアノが弾けなかった)である。
しかし、『大正テレビ寄席』の山下武プロデューサーによれば、お笑いの技量はドリフがドンキーを凌いでいたという。
番組としてはもっと出て欲しかったが、諸般の事情(司会の牧伸二がドンキーカルテットと同じ事務所だったこと)により数回の起用に留まり、泣く泣くドリフよりもドンキーを重用していたとのことである。
1968年、『大正テレビ寄席』や『あなた出番です!』を見ていたコメディアン志望の志村康徳が付き人として加入。
この頃のドリフの番組は、コント55号に押され気味だった。
1969年、居作昌果の誘いにより『8時だョ!全員集合』のメインキャストを務め、コント55号を人気の面で圧倒し、ドリフは一躍お茶の間の人気者となったと同時に、全員集合は低俗番組のレッテルを貼られ、ドリフは人気と引き換えにPTAと地婦連から目の仇にされる。
この番組を見ていたお笑い好きのバンド青年、諏訪園親治が1970年に加藤の運転手として加入、2年後に見習いとして全員集合に出演。
1973年秋、荒井が体力の限界を理由に脱退宣言(綱木に次いで2人目の新生ドリフメンバーの脱退)。
志村が荒井の後釜として見習いとなる。
荒井の後釜選びのとき、加藤がいかりやに志村を推薦し、悩んでいたいかりやも付き人の中で最も才能のある志村を選んだ。
ファンは「荒井の後釜はすわである」と思っていた人が多く、当時無名の志村が後釜ということで違和感を覚えた人が多かった。
当時のすわは付き人の中で最も世間に顔が売れており、かつ全員集合ではブルース・リーのものまねにより人気が出ていた。
1976年、志村は東村山音頭をヒットさせ、加藤・志村のヒゲダンスも人気を集め、再びドリフはお笑い界の頂点に返り咲く。
また、翌1977年には『ドリフ大爆笑』、すわを含めた6人構成の『飛べ!孫悟空』が開始される。
この絶頂期は1980年代初頭まで続く。
1983年頃には、いかりやとスタッフ、およびいかりやと加藤&志村組の不協和音が見られるようになり、全員集合は視聴率で『オレたちひょうきん族』に抜かれ、ドリフ人気に再び陰りが見え始める。
そして1985年には16年間続いた全員集合が終了、さらに同年に全員集合の終了と相前後する形ですわが付き人を辞めた。
2017/6/22(木)
   
ザ・ドリフターズのつながりをもっと見る
スポンサードリンク
ザ・ドリフターズのつながりをもっと見る