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ザ・ドリフターズ ワンマン

ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ(The Drifters)は、日本の音楽バンドおよびコントグループである。1969年頃までバンドを主活動とし、それ以降は主としてコントグループとして活動した。通称はドリフ。1970年代から1980年代中頃を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組で活動した。現在は、グループで活動することはほとんどない。

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  コントでは、わざと嫌われ役汚れ役の権力者を演じ、加藤(後には志村)の仕返しというパターンで笑いを取ることが多かった。
ワンマンな一面があり、コントネタの厳格なまでの作り込みや、ギャラの配分(いわゆるワリ)をめぐってメンバーと衝突することも少なくなかったが、新生ドリフを立ち上げて以降は、そうした厳しさを含めた采配ぶりによって、メンバーを見事にまとめた。
1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』の出演をきっかけに本格的な俳優としての活動を始め、日本テレビ系『取調室シリーズ』やフジテレビ系『踊る大捜査線』などでシリアスな演技を見せた。
1963年、桜井は徐々にライブに出演しないようになるが名目上のリーダーとしてバンドの采配を握っており、碇矢は実質的なリーダーとして練習の鬼と化した。
また、この時期に碇屋長兵衛という芸名で出ている。
1964年夏、碇矢のワンマンぶりに対し、小野は一種のクーデターを起こし、吉田、飯塚、猪熊を誘って脱退して、「ドンキーカルテット」を結成する。
当初は加藤も加入したい意向であったが、グループ名を「カルテッド(4人組)」と決めていたことで今さら変更しにくいのと、当時辛うじて顔が売れていた加藤を残留させればドリフは残せるとの考えから、加藤へ「お前はドリフに残った方がいいのではないか?」と説得した。
また、加藤本人の話では碇矢からも「お前はどうするんだ!!」と凄まれて執拗に残留を求められ、その時の顔の迫力により「残ります…」と言わざるを得なかったとされているが、実際は桜井から「お前はどうするんだ?」と持ちかけられて説得されたという経緯がある。
その他、小野らが正式に脱退を決めていないうちから仕事をブッキングしていたのに違和感を覚えた事も、残留を決めた理由の一つだったという クーデターのきっかけは、碇矢がコントの練習中に、身が入らないメンバーに対して怒り出し「お前らなんか辞めちまえ!」と恫喝した事である。
既にグループ名を決め、脱退後の仕事もブッキングしていたことで「仰せの通り辞めさせて頂きます」と言って、あっさり辞める意思を示してしまい、焦った碇矢は「俺が辞めるからドリフに残ってくれ」と何度も説得した。
しかし小野らは、碇矢がリーダー代行となった当初から、音楽よりもコントを重視する姿勢に嫌気が差していて、ドリフが売れ始め、ようやくまともな収入を得られるようになったことから仕方なく残っていただけであり、結局脱退する運びとなった。
騒動の責任を取り桜井が辞めて、正式に碇矢が三代目のリーダーになったが、引き続き桜井はオーナー的立場で面倒を見た。
この結果、残されたメンバーはリーダーの碇矢、ドラムの加藤、ギターの小山、渡辺プロとの繋がりからメンバー入りしたサックスの綱木だったが、小山は病気で入院中で綱木は臨時雇いであり実質のメンバーは、いかりやと加藤だけだった。
その後、石川サダオ(担当音楽不明)が極々短期間メンバーとして加入している。
2017/6/25(日)
   
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