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吉川晃司
吉川 晃司(きっかわ こうじ、1965年8月18日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。本名同じ。広島県安芸郡府中町出身。自身設立の所属事務所、株式会社アクセルミュージックエンターテイメント代表取締役社長。身長182cm。既婚。1984年、シングル「モニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演。一時俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。

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  バク転以外のステージパフォーマンスとして、足を高く上げてドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」は吉川のライブの代名詞となっているステージ・アクションの一つ いつから始めたか自身はよく覚えていないが、「肩を脱臼してバク転ができなかった時、代わりに何かやろうと思いついたのではないか」と思うと話している。
「グラマラス・ライフ」のMVでシンバルを蹴るシーラ・Eが頭にあったという 初期は垂直に蹴り上げていたが、両足が肉離れを起こして縦に上がらなくなったため、横回転で勢いをつけて蹴る様になった。
観客が「普通のシンバルキックは飽きたよ」「もっと高くできないの」などと言うから、意地で段々難度が上がってきたという。
シンバルキックで過去3回骨折している。
体育会系のノリで広い交遊を持った。
アン・ルイス、ブラザー・コーン、チェッカーズ、尾崎豊、とんねるず、大沢誉志幸、岡村靖幸、氷室京介、布袋寅泰、世良公則、布川敏和、本木雅弘、近藤真彦、小泉今日子、中森明菜、藤真利子、鈴木賢司ら。
特に尾崎豊と岡村靖幸を交えた同級生3人の仲は親友として有名だった。
六本木WAVE(1999年閉店)1階のカフェ「レイン・ツリー」で待ち合わせて、次の店をどこにするか、「じゃんけんをし、勝った者が行き先を決めることが出来る」という方法で行く先を決めた。
吉川が勝つとひたすら飲む、尾崎が勝つと女を口説くことが出来るクラブ、お酒が苦手な岡村が勝つとディスコ(岡村は、ディスコであの独特の踊りをずっと踊っていたそうである)に行った。
吉川と尾崎は飲むのが好きで酒も強く、尾崎が勝っても女の子のいる店にはいかず結局、男三人で飲む、泥酔していたという 「昔は3人で無茶なことばっかりやっていた」と述べている。
よく行ったのは「レッドシューズ」や「トゥールーズバー」、六本木「AREA」、カラオケ「港町十三番地」など 岡村は「当時の僕の目には、尾崎と吉川はキラキラ輝いて見えた」と話している。
19歳という未熟な時期から三人ともそれぞれの道を歩み始め、三人で集まって遊ぶことは段々少なくなっていった。
最後に三人で遊んだのは25歳くらいのとき、芝浦のクラブ「GOLD」で、ちょうどマドンナが「GOLD」に遊びに来ていた日で、VIPルームで三人で飲んでいたら、マドンナが突然現れて吉川だけが呼ばれた。
何だろうと騒然となったが、数分後、吉川が戻ってきて「便所はどこかって聞かれた」と言った。
吉川は「そこの角曲がったとこだ 一人で行け」とマドンナに言ったが「いいから連れて行け」と命令され、仕方なく便所までエスコートしたと話している。
それからしばらくして尾崎が亡くなり、三人で遊ぶことはもう出来なくなった。
尾崎が亡くなったとき、吉川は友人代表としてお悔みを述べ、岡村が不祥事を起こした際は、「自分のケツは自分で拭かないとね でもきっと、スリムになって戻ってくるんじゃないかな?」と気遣うコメントを述べている。
尾崎の死後は「彼は反論できないのでフェアじゃない」と言い、彼について深く語る事は無い。
2017/12/25(月)
   
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