このエントリーをはてなブックマークに追加
Tweet
当サイトについて

◆ 最新芸能人一覧

A.B.C-Z


Aiko


猫ひろし


草刈正雄


木村拓哉


オリエンタルラジオ


古尾谷雅人


緒形拳


>>もっと見る

美輪明宏 原子爆弾

みわ あきひろ
美輪明宏
美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年5月15日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、演出家、タレント。長崎県長崎市出身。本名:丸山 明宏、幼名 臣吾(しんご)。海星中学を経て国立音楽大学附属高校中退。愛称はマルさん、美輪さん。自らの個人事務所である、オフィスミワ所属。1971年までは本名の丸山 明宏名義で活動していた。兄と姉と弟のいる五人兄弟の次男。

fundo.jp

www.tbs.co.jp

matome.naver.jp
  1935年(昭和10年)5月15日、長崎県長崎市において、作一、ヌメの間に、5人兄弟の次男として誕生する。
美輪の実家は、長崎市内の「丸山遊郭」と呼称された遊郭街であり、「世界」という名前のカフェを経営していた。
1941年12月、イギリスやアメリカ合衆国との戦争体制に入った中で、美輪明宏の父親は「敵性文化を商売にする事は時局にそぐわぬ」と言われて、やむ無くカフェを閉店せざるを得なくなり、金融業に転業する。
美輪明宏(10歳)は、長崎市への原子爆弾投下時、長崎市本石灰町(爆心地から約4キロ)の自宅におり無事だったが、その後、近くの防空壕で待機した後に、6日後の終戦の日に爆心地近くにあった生母の実家へ祖父母を1人で探しに行き、惨状を目の当たりにする。
1945年(昭和20年)8月9日、雲1つない快晴の日、長崎県長崎市本石灰町にある自宅において、美輪明宏(10歳)は窓際で夏休みの宿題に御伽草子の「万寿姫」の絵を製作していた。
自身が製作した絵の仕上がりを確認するため、2、3歩後方に下がった時、原子爆弾が長崎県に投下された。
何千ものマグネシウムを焚いたような白い光だった。
美輪明宏は、雷光かと思い、天気の良い日なのにと不思議に思う。
しかし、直後には、世界が息を止めたような深い静寂に包まれるのを実感したと言う。
その直後に、激しい爆発音が聞こえ、家がぐらぐら揺れて傾いた。
お手伝いに促され2人で布団をかぶると空襲警報が鳴りだし、その後爆風で机の下に飛ばされていた兄を起こし3人で防空壕に向かうが、景色が一変していることを知る。
隣接する劇場は天井が崩れ落ち、勤労奉仕の女子挺身隊の宿舎は形を残していなかった。
2017/10/6(金)
   
美輪明宏のつながりをもっと見る
スポンサードリンク
美輪明宏のつながりをもっと見る