このエントリーをはてなブックマークに追加
Tweet
当サイトについて

◆ 最新芸能人一覧

山田親太朗


ポルノグラフィティ


名倉潤


つんく♂


渡瀬恒彦


椎名林檎


SMAP


所ジョージ


>>もっと見る

長嶋茂雄 高田繁

ながしま しげお
長嶋茂雄
長嶋 茂雄(長島 茂雄、ながしま しげお、1936年2月20日 - )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督(読売ジャイアンツ監督(第10代、第14代))。読売ジャイアンツ終身名誉監督。日本プロ野球名球会顧問。闘志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続けた。「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献し、国民的人気を誇った。2001年より株式会社よみうり(現:株式会社読売巨人軍)専務取締役、巨人軍終身名誉監督。2013年、国民栄誉賞を受賞した。

画像ページ

画像ページ

画像ページ
  1975年のシーズンは、球団創設以来初の最下位に終わった。
当時巨人の選手だった柴田勲は「長嶋さんが引退して森昌彦さん、黒江透修さんも引退し戦力が落ちたのもあるが、コーチ陣を一新したり、一体どういう野球をしたいのかがわからなかった」,「コーチ陣と上手くいっているように見えなかった」と述べている。
この時、長嶋は自身の野球人生は「波乱万丈」だと思ったという(『読売新聞』1999年11月27日付) そのため1975年のオフには「グリーン・ベースボール」「チャレンジ・ベースボール」を標榜し、勝つ野球へのシフトチェンジを行った。
日本ハムファイターズから、「安打製造機」と呼ばれた張本勲を高橋一三、富田勝との交換で獲得 さらにトレードでライオンズから先発も抑えもできる加藤初も獲得した(このとき東尾修もトレード候補だったが、「球の速い方」の加藤を選択したとの関係者の証言あり)。
外野手である高田繁を内野手の三塁に、当時としては異例のコンバートをし、ジョンソンを本来の二塁に移動するなど、チーム強化に着手した。
コーチ陣も前年から一軍コーチで留任したのは黒江のみで打撃コーチには2軍監督だった国松彰が就任した。
投手コーチに就任した杉下茂は鈴木龍二セ・リーグ会長からの要請で就任した。
ヘッドコーチには極秘で南海の選手兼任監督野村克也に接触、巨人の当時球団常務だったロイ佐伯、広報担当の張江五が交渉し、選手兼任ヘッドコーチというオファーを打診。
当時、チーム内の派閥抗争に巻き込まれ孤立していた本人は快諾した。
ところが肝心の長嶋がクビを縦に振らなかった為、“巨人・野村克也”は幻に終わり、野村は選手兼任監督で南海に残留した。
翌1976年には最下位から一転、リーグ優勝を果たした。
日本シリーズは阪急ブレーブスに3勝4敗で敗れた。
2017/3/27(月)
   
長嶋茂雄のつながりをもっと見る
スポンサードリンク
長嶋茂雄のつながりをもっと見る