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長嶋茂雄 広岡達朗

ながしま しげお
長嶋茂雄
長嶋 茂雄(長島 茂雄、ながしま しげお、1936年2月20日 - )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督(読売ジャイアンツ監督(第10代、第14代))。読売ジャイアンツ終身名誉監督。日本プロ野球名球会顧問。闘志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続けた。「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献し、国民的人気を誇った。2001年より株式会社よみうり(現:株式会社読売巨人軍)専務取締役、巨人軍終身名誉監督。2013年、国民栄誉賞を受賞した。

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  1978年はシーズン当初から低迷が続き、8月後半、一旦は首位に立つものの力尽き、結局、広岡達朗率いるヤクルトが優勝した。
同年オフに江川事件が起きており、江川卓との交換トレードで、エースの小林繁が阪神に移籍。
この間、他球団から相次いで監督就任の打診があったが、巨人への思いからそれらを全て断った(『読売新聞』1999年11月27日付)。
長嶋によると大洋、日本ハム、ヤクルトから監督就任の要請があったという。
中でも大洋が長嶋の監督就任に最も積極的に動いていたが、最終的には「もう少し勉強していたい」という理由で断った。
西武からも監督要請を受けるが即断り、3番目の候補だった広岡達朗が監督に就任した。
一茂が在籍していたヤクルトから1989年オフに関根潤三の後任監督として監督要請を受けるが、家族の反対もあり、野村克也が就任した。
1990年オフオリックス・ブレーブスから監督の要請を受けるが断り神戸出身で長嶋の大学・巨人の後輩土井正三を推薦し土井が監督に就任した。
大舞台でよく打ち、勝負強さが印象付けられている。
日本シリーズでは通算68試合に出場して出塁率.402・長打率.694・OPS1.096の成績を残し、シリーズの初戦では通算12試合で打率.429(49打数21安打4本塁打)を記録した。
日本シリーズMVP通算4回獲得は史上最多である。
2本塁打を放った天覧試合については、チームメートの広岡達朗は「天覧試合は長嶋のためにあったようなもの」と語っており、「彼がああいう舞台で力をきっちり出せるのは、実力もさることながら物の考え方(大舞台に物怖じせず、むしろ楽しむ)が素晴らしいものを持っていたのが大きい」と評している。
1966年11月6日の日米野球戦・天覧試合でも場外本塁打を放っており、皇室観戦試合では通算10試合で打率.514(35打数18安打7本塁打)を記録した。
いつ頃扱いが変わったのかは明らかにされていないが、1964年8月6日に起きた広岡達朗の試合途中帰宅事件(広岡の打席で長嶋がホームスチールを行い、それをサインプレーと勘違いした広岡が監督批判をした上に試合中にもかかわらずそのまま帰宅した事件)時以前には既に扱いが変わっていた。
カルピス - 藤田元司、広岡達朗、金田正一と共演。
2017/3/27(月)
   
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