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ながしま しげお
長嶋茂雄
長嶋 茂雄(長島 茂雄、ながしま しげお、1936年2月20日 - )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督(読売ジャイアンツ監督(第10代、第14代))。読売ジャイアンツ終身名誉監督。日本プロ野球名球会顧問。闘志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続けた。「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献し、国民的人気を誇った。2001年より株式会社よみうり(現:株式会社読売巨人軍)専務取締役、巨人軍終身名誉監督。2013年、国民栄誉賞を受賞した。

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  1990年の川上哲治との和解、1991年の務臺光雄の死去、渡邉恒雄の読売新聞社社長就任など、長嶋の監督再就任への道筋が徐々に出来上がり、1992年オフに報知新聞社客員を辞任し、1992年10月12日に第13代監督として復帰会見を行う。
新背番号は「33」(3を2つ合わせたもの)。
同年11月のドラフト会議において、星稜高等学校の松井秀喜を引き当てた。
長嶋の監督復帰は翌年に発足を控えたJリーグへの対策という意味もあった。
1998年、7月31日の対阪神戦(阪神甲子園球場)において判定を巡りバルビーノ・ガルベスが主審の橘高淳を目掛けてボールを投げ付ける事件が発生した。
長嶋は著書『野球は人生そのものだ』の中で、監督としての責任から、球団社長の渡邉恒雄に辞表を提出したが慰留され、カード終了の次の日に頭を丸めた。
1999年は大物ルーキー上原浩治が20勝を挙げ、同じく新人の二岡智宏も遊撃に定着、2年目の高橋は3割30本をマークするなど若手が活躍したが、桑田や斎藤、ガルベスのベテラン投手陣に衰えが目立ち、シーズン終盤にこの年好調だった高橋が故障で離脱。
高橋や松井ではなく大不振の清原を4番に置き続けた長嶋の采配も疑問視され2位に終わり優勝を逃した。
長嶋の第2次監督時代、長嶋の後援会「燦燦会」が設立されている。
呼びかけ人は渡邉恒雄
会員は東京電力の平岩外四、アサヒビールの樋口廣太郎、ソニーの盛田昭夫ら。
2017/8/15(火)
   
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