歴史感じる芥川宿の魅力。
伏見より四里、郡山へ二里、、、とある芥川宿は、西国街道山崎通二番目の宿です西国街道の起点は東寺で、次の宿駅は山崎宿、経路的には伏見を通らないのですが「伏見より」と道標や書物に記録されるのはなぜなのでしょう、、、調べねばなりませんね古くは三好長慶も拠点にしたと言う、芥川城の城下町として発展したのが元で、江戸末期には旅籠が33軒、家数は253軒と記録があります細見表によると本陣は岡村善蔵家とありますが、現在は何も残っておりませんここから南へ一里行ったところに高槻城があり、この周辺は高槻城の城下町と一帯的に発展した経緯がありそうで興味深い、、、高槻藩は成立してから35年ほどの間に五家が転入を繰り返しましたが、1649(慶安2)年に永井家が三万六千石で入封すると、明治維新まで13代が240年に渡り支配しましたところで高槻市は、史跡の調査や保全に意欲のある自治体かと思われます先述の芥川城、および芥川山城の発掘もそうですが、北部に点在する古墳の調査や、高槻城関連の展示施設の整備などに力を入れていますこの芥川宿域にも「まちかど遺産」の看板を作成し、今に歴史を伝える取り組みをされているのが好印象あと、最近高槻城の城跡公園内に芸術文化劇場ができましたよね賛否はもちろんあると思いますが、文教エリアを成立させるためにも良い取り組みかと思いましたさて、芥川宿ですが、宿域は芥川一里塚(荒神社)から西へ向かい、「此の川綾部山より落来る」と記録される芥川にぶつかるところあたりまでかと思われますただ西国街道に沿って特に東側は町家が発展していたようで、大きく鉤型になる道に沿って今も家並みが続きます「芥川仇討ちの辻」の史跡が残る寿司「八百鶴」さんの店先から高槻駅に伸びるアーケードは、今もなかなかの活況ぶりで、昔から栄えた場所だったのだろうな、と思いを馳せることができるよいスポットですねちなみに西端を流れる芥川は天井川で、水位が上がると堤防を越えて水が出ることがしばしばだったとか芥川橋から宿へ入ろうとすると、結構な勾配の降り坂になっており、川が氾濫すれば街道が川のようになってたちまち水没することが想像できますそのため宿の入り口には止水板をはめこむ石柱があり、板を嵌めるための溝が今も残っていますそれでも食い止めるのは難しいでしょうね、、、水はあちこちから流れ込んできますので、どれほどの効果があったのか、それでもこうしたものが残っているのを見ると、そこに生活があって暮らしを必死に守っていたのだなあ、と視線が遠くへ行っちゃいますね宿内はちらほらと古い建物が残っていて、リノベーションした町家のカフェなどがありました、、静かな佇まいで、地元の方が自転車で乗り付けて本を読みながらコーヒーを一杯、的な感じの古民家カフェでしたよ新しいマンションも街道脇を意識したデザインだったり、庭先に石碑を置いたり景観に配慮したものが多い印象ですね他にも行列のできる人気のタルト屋さんがあったり、昔からやっていそうな駄菓子店や酒屋さん、お寿司やなどなど、伝統的な場所でこうした商いをする事業者には勝手に好感を持ったりしてしまいがちです笑駐車所は探すと結構あります171号線を西から来ると、柳原の交差点からJR高槻駅に向かう道があって、その周辺はコインパーキングが密集しています高槻城と併せて周囲を歩くならこのあたりに停めて、ブラブラするのもいいですが、やっぱり電車がいいのではないでしょうかJR、阪急両方とも便利ですし、新旧の商店街にかなりの数お店があるので、一日楽しめるエリアだと思います建物や景観はそれほどでもありませんが、古くから人が暮らしていた町並みに、往時の雰囲気を嗅ぐことのできる地域でとてもよいところだと思いました。
名前 |
芥川宿跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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高槻西国街道芥川東側にある宿場宿跡、南側の酒屋の店先側が少し東側がへこんでいる、大名行列の土下座場所。