東海道・姫街道交差点、歴史を感じる旅へ。
御油の追分の特徴
東海道と姫街道の分岐点がある歴史的な場所です。
追分の美しい景観を楽しめる絶好のスポットです。
2024年5月上旬に訪れる価値がある観光地です。
旧東海道は 吉田宿方向から来ると、ここで姫街道と合流します。逆に 御油宿方向から来た場合は、姫街道と東海道は ここで分かれます。元々(古代)は、浜名湖の北を通る本坂峠(姫街道)ルートが 東海道の本ルートだった。浜名湖の南側や天竜川の下流に「磐田の海」や「大乃浦」といった湖があり、ルートとしては浜名湖の北を通るしかなかったようです。その後(奈良~平安時代頃) 磐田の海や大乃浦の水が引いたため、東海道は 浜名湖南岸ルートが主流になった。そして 1498年(室町時代)の明応地震により、浜名湖が海と繋がり、渡船が必要になったため、再び本坂峠(姫街道)ルートが盛んになった。幕末には将軍 徳川家定の正室となる篤姫の江戸入り(1853年)は本坂峠(姫街道)ルートだった。姫街道と呼ばれるようになったのは 幕末あたりという説が有力です。1855年、母を伴って伊勢参りした清河八郎は旅日記にて「大名も新井を通らず すべて御姫様海道と名付けて格別難儀にもあらざる•••」また、1860年五雲亭貞秀が描いた「東海道五十三次勝景」において「浜松順路並姫街道木賀遠望」と題した浮世絵がある。このころ「姫街道」という呼び名が定着したようです。
姫街道《正式には本坂通(どおり)という》は浜名湖北岸の三ケ日経由で東海道見附宿(磐田市)を15里余(約61粁)で結んでいるが、その追分になる。安永3(1774)年造立の秋葉山常夜燈や明治16(1883)年造立の秋葉山三尺坊大権現道標などが残されている。
東海道と姫街道の分岐点です。
東海道と姫街道の追分2024年5月上旬に行きました。秋葉山の常夜灯と「秋葉山大権現道」や豊川稲荷への道標が設置されています。交差点の北にありますが、元は東側にあったとのことです。
| 名前 |
御油の追分 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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東海道を歩いた時は通過点でしたが、今回は姫街道の最終目的地でした。今日は三ヶ日から旧姫街道の本坂峠を越えて24km、疲れましたがとっても嬉しいゴールでした。