静かな宇治の古墳、菟道稚郎子。
菟道稚郎子尊 宇治墓(丸山古墳)の特徴
対岸からは丸山古墳の大きさが一目でわかりますよ。
応神天皇の皇子にまつわる史跡が整備された場所です。
宇治の名前の由来が感じられるのどかな空間です。
菟道丸山にある宇治墓。遺跡名は丸山古墳。宮内庁管理。
宇治市菟道丸山にある前方後円墳。丸山古墳は明治時代に宮内庁によって菟道稚郎子の墓に治定され宇治墓と呼ばれています。ただし明確に菟道稚郎子が被葬者なのかは分からず治定以前は朝日山の山頂が宇治墓だと言われていました。また元は円墳だったものを治定後に前方後円墳に造り替えたといいます。そのため実際の被葬者は史実や考古学的には不明です。菟道稚郎子は全国の八幡宮の御祭神でもある第十五代応神天皇の皇太子。弟は大仙古墳で有名な仁徳天皇です。日本書紀には父の寵愛を受けながらも弟に皇位を譲るため自ら命を絶ったと記されています。現在宇治上神社と宇治神社がある場所に宇治宮を構えそこで暮らしていたとされ前述した両神社の御祭神として祀られています。京都アニメーションが制作した宇治市の公式PR動画「うじには物語がある」にも菟道稚郎子が登場しています。
菟道稚郎子さんのお墓です。余りと云うか全く有名でもない人物のお墓にしては立派です。即位もしてないみたいです。応神天皇の皇子、仁徳天皇の異母兄にあたる人らしいです。
宮内庁管理。近くに寄れんかった。遠くから見るに、デカそうに見えたが直接墳丘とかは見えず。
京都市の市街地では少ない前方後円墳だと思われる古墳です(墳丘とかは見えませんでしたが、航空写真とかを見るにまあ良好に残っていると思います。拝所にある石碑の字体が今まで見た記憶が無いのですが、珍しいものですかね?ここからは菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)について。父は応神天皇、母は宮主宅媛(妃・多分和珥氏の人物)生没年不詳。名前の通り宇治に関係が深く、菟道宮(うじのみや)という宮を立てたそう記紀で書かれている内容が違い、日本書紀には「応神天皇に寵愛を受け立太子するも、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと・後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自ら命を絶った」とあるが、古事記には夭折としか書かれていない、という謎の多い人物である。
対岸から眺めるとその大きさが良くわかりますよ!
記・紀にみえる応神天皇の皇子。明治になってから現在の場所に決定しました。前方後円墳の陵墓です。
宇治を訪れた時に真っ先に訪れる場所ではないでしょうが、のどかな場所で、キチンと整備されています。
この方は第15代応神天皇の皇子で仁徳天皇の異母兄弟とされており、世界遺産の宇治上神社はこの3人を祭神としています。しかし祀られ方は仁徳天皇と同格に思えます。 宇治上神社、宇治神社、共にうさぎが守り神と成っており、宇治神社の手水場はうさぎから水が出ています。応神天皇の後を継ぐ様に後の仁徳天皇から言われたが継ぐのが嫌でこの地迄逃れて来て、結局この地で自害された。と伝えられています。逃げる際に夜うさぎが出てきて道案内をしたとも伝わっていますが、そんな美談かな?とも感じました。この方のうじの字は現在使われておらず、中国の於莵(おと、森鴎外の息子と同じ字)から来ているとすれば、虎の異名で化けて出てくると言う事か?と推察出来ます。また夜うさぎに案内されたと言うのはうさぎの形がはっきり見える月夜に追ってから逃げたとも推察出来ます。後世美談にして陵を作ったのかな? 歴史研究は楽しいですネ。
| 名前 |
菟道稚郎子尊 宇治墓(丸山古墳) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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‘うじのわきいらつこ’、’うぢのわきいらつこ‘と読むそうです。宇治の由来になった人。前方後円墳、それか円墳。