激動の歴史、上宮寺で体感。
上宮寺の特徴
上宮寺は真宗大谷派のお寺で、モダンな作りが特徴です。
徳川家康を苦しめた三河一向一揆の歴史を持っています。
岡崎市上佐々木町に位置する、歴史深い仏教寺院です。
ご縁がありお参りさせて頂きました。とても近代的なお寺さんです。浄土真宗東本願寺派とのこと。御朱印いただけるとは思わなかったので、うれしかったです。ぼんもりさんも、気さくな方で、色々教えていただきました。ありがとうございます。
三河三か寺の一つ上宮寺。近代的な建物にされたということでしたが、一見、ほんとにお寺さん?と思うほどでした。近くに勝鬘寺、本証寺があり、このお寺に立て籠もり家康と戦ったと思うと、戦は勝ち負けではなく、人の思いや道理を胸に戦ったのではないかと推察…。また聖徳太子が五九八年、この地に仏法を伝えるためにこられた折に、仏法を教え広める場所を探していた時に、乗っていた車が田に落ち込ちどうにもならなかった…そのとき通りかかった名もなき男が、道ばたの顔のつるを落ちた車輪にかけ、力をふるってみごと車を引き上げました。そこで、太子は「それではこれより太を姓とし、カ丸と名のるがいい」と男に姓名を与え?ことに。このカ丸を祖とする三河太田は、太子下賜の特別な家紋を受け継いでいます。家紋をみると、片織車に夕顔という紋様で、物語の通り太子をたすけたことを表す家紋になってました。そして、カ丸は、自らが住む志賀須香の里へ案内すると、太子はそこが霊地であるとみて、自身の木像を安置し、ここより三河に仏法弦まれと願いをかけられました。これが上宮寺創建の物語…とのこと。勝鬘寺を訪れた際、もう一つのお寺という感じで寄りましたが、こんなにも深い言い伝えがあったなんて、驚きでした!
浄土真宗大谷派のお寺さんです。木造の本堂が昭和63年に焼失し、5億円もかけてモダンなコンクリート造りの建物に再建されたそうです。浄土真宗のお寺さんにしては珍しく、御朱印を頂けました。
愛知県岡崎市にあります真宗大谷派上宮寺を訪問致しました。最初は大河ドラマで見た三河一向一揆に関係したお寺のイメージしかありませんでしたが、調べていくと聖徳太子所縁の由緒あるお寺であり、源頼朝配下の猛将佐々木盛綱が血脈の祖となり、蓮如上人の初期の活動を支えた如光等を輩出した大寺であることが分かり実際にお寺を見てみたいと思い訪問させて頂きました。事前に連絡をし、見学可能な法物の閲覧もお願いいたしまして当日訪問する。(拝観料をお納めします)訪問当日、西岡崎駅を降り15分ぐらい歩くと近代的な建物に建て替えられたお寺に到着します。境内を見学後、住職様にご挨拶をさせて頂きまして本堂にて御本尊様を参拝。その後、住職様直々にお寺や法物の説明を1時間かけて丁寧にして下さいました。住職様のお話はとても分かりやすく、上宮寺の長い歴史を的確に要点をまとめられて説明をされます。特に、・蓮如上人が如光に御下付された十字名号(如光は勇敢で学匠としても優れていた篤信の方だったそうです。その如光が初期の蓮如上人の本願寺を支えていたことが分かる貴重な十字名号)・佐々木氏の歴史(説明を聞くと佐々木の血筋が勇猛果敢な豪傑なため、比叡山や家康や信長が相手でも全く臆せず住職様自ら戦場に突っ込んでいくようなすごい方々です)が印象的で非常に勉強になりました。「和国の教主」と仰がれた聖徳太子が仏教の考えに基づいて国造りを推進していく過程で各地にお寺を建てられたそうで、この岡崎の地にも上宮寺の元となった一宇が建立されたようです。子々孫々まで繁栄あれかしの太子の想いが各地にある小さな一宇には込められていた感じがします。その想いは夢幻の如き無常の世の中にあって権勢の盛衰にも時節の転換にも変わることなく上宮寺に関係する方々の並々ならぬ努力によって途絶えることなく飛鳥の世から令和の現在に至るまで受け継がれてきていることに感動を覚えました。お忙しい中、親切丁寧な対応をして下さり有難うございました。
家康と在地勢力の既得損益を争った三河一向一揆のはじまりの地。昭和63年の夏に全焼した本堂に代わって平成になって建築された本堂は、インド仏教の形式を模した半円形の屋根で、遠くからでもよく見えます。広い境内地は、救いを求める人を全て受け入れるという浄土真宗の思想を表していて、三河三ヶ寺のひとつという寺格を残しているように感じます。
☆綺麗にされた境内にお洒落な本堂、各所に説明板が設置され、上宮寺の事が良く分かるように成っていました😄ここが徳川家康生涯の中で大きな試練の一つ「三河一向一揆」の切っ掛けと成った場所とは、諸説ありますが家康の家来が上宮寺から兵糧米を強制的に徴収し不入特権侵害、三河国統一目指す家康と本願寺派の三河三ヶ寺(上宮寺・勝鬘寺・本證寺)&反岡崎松平派の対立、永禄6年(1562)秋から終息まで約1年半も続いたとは驚きました、その際に一度は全て破却され消滅も家康の乳母/妙春尼(家康の母/於大の方の姉)の尽力で天正13年(1585)再興されて現在に至るとは、激動の歴史だ🤔☆駐車場も整備され広くて白線あり停めやすいです🚙
とてもモダンな作りの真宗大谷派のお寺です。14世紀前半に創建したとされ、また三河三か寺のひとつとして、永禄6(1563)年の三河一向一揆を主導しました。1988年に本堂などが全焼してしまい、1996年に現在の作りに再建されました。歴史あるお寺がこのような作りとなっているのは初めて見ましたが、作りは洗練されていて、お寺の一般的な建築様式の固定概念にとらわれないのもいいのかなと感じました。
現代的な作りをした、浄土真宗大谷派のお寺です。創建は14世紀前半とされていますが、1988年に本堂などが全焼してしまい、1996年に現在の作りに再建されました。三河三か寺(勝鬘寺・本證寺・上宮寺)のひとつでもあり、永禄6年(1563年)の三河一向一揆を主導した歴史を持ちます。洗練されたモダンな作りでしたが、歴史あるお寺がこのような作りとなっているのは初めて見た気がして、ある意味新鮮でした。また参拝したいと思います。
2022.8書込み昭和63年8月31日、今から35年ぐらい前に火災で旧本堂が焼け落ちました。当時の本堂は非常に大きく、岡崎市中町の三河別院の本堂が大きさ的に同じくらいのイメージです。この辺りは太田姓の発祥地のようです。
| 名前 |
上宮寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0564-31-6277 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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今川と戦をせねば、で、寺の貯えを強制徴収してしまった。ドンと音を立てて火が付いた。三河一揆。何故、三か寺で連携して戦わなかったのだろうか。三河一揆の舞台は、見渡す限り平たい土地が広がっている。櫓を立てれば家康さんの動きも分かるが、一揆側の動きもよく見えた筈だ。やはり突発的で、計画的に始めたものではなかったに違いない。安寧のための秩序(ルール)を王法と仏法のどちらに求めるか、ということで一揆。再建したここの本堂は焼失した。今は近代的な寺院が聳える。見るべきものはある。家康さんの乳母で叔母でもある妙春尼さんの墓、伊勢国白子ノ郷から移した不断桜。妙春尼という女性の発言力と、徳川家と真言宗子安観音寺のつながり、をこの寺は語ってくれている。訪2中旬。