文明10年創建、西富貴の神社。
丹生神社の特徴
丹生神社は文明10年に創建された由緒ある神社です。
天野明神から勧請された歴史ある神社です。
古老の伝承が息づく神社の魅力が感じられます。
当社の由緒と創建についての詳細は不詳であるが、古老の伝承によれば、文明10(1478)年天野明神より勧請。明治6年4月村社の指定を受ける。なお「高野の生き神」には「当社ハ伊都郡天野村鎮座、官幣大社、丹生神社ノ天野告門ト称スル古文書ニ大御神ハ筒香藤代ノ峰(藤代ノ峰ハ大字東富貴卜大字上筒香ト奈良県吉野郡大塔村トノ三字界ヲナス高峰ナリ)ニ天降座シテ富貴ノ村ニ忌杖刺給フトアリ斬フ御経歴アリシ地ナレバ、其後勧請セシモノナラト古老ノロ碑ニ伝ヘ来レリ」と書かれている。平成元年遷宮を執行し、末社3社(八幡、天照、天日)の改築、社務所の改築、玉垣の改修を行った。はながら(あられ餅)神事について享保の初め凶作相次ぎ、此地の住民皆、離散して50餘り空屋となり、田畑荒廃して耕す者なし。猪鹿山林田園に充満し残る人民も皆亡せんとするに至り、名迫家二十九代の孫名迫伊光之を哀し、自分の所有する和歌山の武家屋敷を他人に渡し、村人達に食べ物を配り、農作物の種子をあたへ、農具を作り、生産をあたへ、離村した村人をよびもどし、10年にして旧富貴村をつくる。村人達は伊光の恩を感じ、享保10年伊光の為に生前に社を建て名迫神社と称し、お祭している。此の名迫伊光の多数の恩に感謝する意味と、子孫の代々につたえる意味で、毎年10月9日朝7時より8時までの間、宮に参拝した我子にはながら(あられ餅)をあたえる。
とてもいいところ。無人です。
| 名前 |
丹生神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=4057 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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西富貴の集落外れ、小高い山の中腹に鎮座する神社。丹生津比売命、高野御子命、市杵島比売命、大食都比売命を祀り、西富貴の氏神として崇敬されてきました。創建・勧請年代は不詳です。丹生都比売神が「富貴の村」に忌杖を刺したという伝承から、のちに丹生明神を勧請したとも伝えられます。ただし、文明10年(1478)の創建とされるのは東富貴の丹生神社であり、この伝承が東西どちらの社に由来するのかは明確ではありません。境内は本殿・拝殿・社務所、二基の鳥居、二つの橋、石燈籠などで構成されています。木々に包まれた長い参道と、橋を渡りながら社殿へ向かう景観が印象的です。毎年秋に行われる富貴の秋祭りでは、東富貴・西富貴からそれぞれ神輿とだんじりが出て町内を巡行します。東富貴の神輿が西富貴の丹生神社へ到着すると、両社の神輿を境内に並べて神事を行い、その後は東富貴の丹生神社や滝明神、名迫明神社などを巡ります。名迫家に伝わる「丹生八幡両宮神輿造立記」によれば、西富貴の神輿は寛政2年(1790)8月、祭礼のために新造されたものです。東西の丹生神社が一つの祭礼によって結ばれ、さらに滝明神・名迫明神まで巡るところに、富貴という地域全体の古い信仰のまとまりが感じられます。