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名前 |
桃牛寺 山門(長篠城移築禅定門) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
看板説明より「○本尊十一面観世音菩薩和秀山桃牛寺○宗派禅宗——————曹洞宗○ 天正三年(1,575) の長篠の戦いで敗れた武田勝頼方に従軍の段嶺城主、菅沼大膳亮定継の家臣、 城所道寿の孫で、当時家老の丸山九郎左衛門吉之(開基)は、長篠戦の敗北で家老を辞し、天正四年(1,576) に当地へ来て“庵”を建て、彼の信仰する「十一面観世音菩薩(行基菩薩作)」 を安置し、作手、鴨谷村翔龍山甘泉寺の僧、明三知客 (開山)を招いて戦没した兵士の霊を弔った。これが現今の桃牛寺の草創である。○この庚申堂を桃牛寺と称するのは、この庵を造立するとき、最初の木材が東方より牛によって 運ばれて来たのにちなんで東牛寺と名づけられた。関ヶ原の戦い (1,600年)の後に、中国の 古い詩にある「馬は花山の南、牛に桃林の野、是聖代の心ばえ」から、東を桃に改め“桃牛庵” と改称した。正德三年(1,713)新城城主、水野元綱は“桃牛庵”を“桃牛寺”と改称した。○山門 長篠城の弾正門を移築(三度の移転: 長篠城→新城城→永住寺→桃牛寺)書院―新城城主第四代、水野元綱の母堂が使用の住居を移築。屏風―元綱の母堂住居移築の折、新城城から運ばれた屏風一対殉国学徒之霊 太平洋戦争時、豊川海軍工廠で爆死した学徒動員女学生の慰霊碑。新城観光学会平成22年2月吉日」東から牛が引いてきた木材で建てたから、「東牛寺」。名前の由来が単純で面白いなと思いました。山門の様子は、三度も移築されただけはあるなと思いました。