対馬の歴史、海上交通の要所。
大船越瀬戸の特徴
対馬やまねこ空港から万関橋へ向かう途中に位置する観光名所です。
江戸時代に開鑿された運河が目前に広がる歴史的な場所です。
対馬の南北80kmの壮大な自然が楽しめるリアス海岸が魅力です。
対馬空港から飛び立つ時に綺麗に見えました。対馬の東西遠船で行き来する運河です。江戸時代に作られたそう。飛行機の席は右側の座席でした。
対馬やまねこ空港から万関橋へ向かう途中に立ち寄りました。橋を渡ってから少し先を左側へ戻るように入ると、車を駐められる場所がありますので、ここに車を駐めて眺めました。真っ青で綺麗な潮の流れが見れます。
江戸時代の寛文十二年(1672)に、わずか半年で開鑿を完工させたそうです。(出典: 街道をゆく 壱岐・対馬の道 )
江戸時代初期、対馬府中藩第3代藩主宗義真公の時代に、対朝鮮貿易で黄金期と言われてた時期に公共事業として山を削り運河を通した場所になります。同時期に対馬府中藩の居城も金石城から新たに桟原城(現:陸上自衛隊対馬駐屯地)へと築城されました。江戸時代後期には帝政ロシアのポサドニック号が芋崎に勝手に駐留し、測量計測と言ってこの大船越瀬戸にあった関所を通過の際に門番であった松村安五郎と吉野数之助がロシア兵とトラブルになり、亡くなりました。2人は国の為に尊い命を落としたということで靖国神社に合祀され、この大船越瀬戸に顕彰碑が建てられてます。
一つの島だった対馬の船越に、宗氏が堀切を造って海上交通の要とした場所です。川の流れのように速いです。なかなか美しい場所だと思います🎵
対馬は南北80kmと大きな島ですが、リアス海岸が発達しているので入江が入り組んでいます。その入江が完全に水没すれば、もう一つ島が出来る感じでしょう。そのギリギリまで入江が入り込んだのが大船越でした。この狭隘な場所を開削して運河としたのは江戸時代のこと。想像でしかありませんが、この大工事によって船の往来が盛んになったことでしょう。今では島の主要道路である国道382号線が橋で渡されており、この運河を見下ろすことが出来ます。
名前 |
大船越瀬戸 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.pref.nagasaki.jp/bunrui/machidukuri/toshikeikaku-kokudoriyo/keikan/419594.html |
評価 |
4.0 |
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私の大好きな対馬。綺麗なまま将来に残って欲しい場所です。この赤い橋が無ければ島を渡ることが出来ない重要な橋です。潮の流れも美しく、見ていて飽きません。是非一度ユックリと散策してほしいです。