宮道古墳で歴史に触れる。
宮道朝臣列子墓(宮道古墳)の特徴
平安時代の貴族・烈子の霊廟がここにあります。
宮道古墳は中臣十三塚の重要な一つです。
醍醐天皇の外祖母のお墓として歴史的価値があります。
平安時代の女性貴族で、第60代天皇・醍醐天皇(897年即位)の外祖母のお墓です。恋話の逸話が残る少女雑誌の主人公のような方です。周囲には綺麗な花々が咲いています。1100年忌として、平成19年(2007)10月16日に藤原北家の末裔と宮道神社の信徒らによって供養塔となる五輪塔が建てられたようです。
宮道列子(たまこ)の墓つまり中臣十三塚の一つ宮道古墳ですね。列子は、藤原高藤の妻でも有り、宇多天皇の皇后となった胤子の生母で有り、その胤子が醍醐天皇を生んだ事で、列子は天皇の外祖母に。結果 宮道家も大いに繁栄した様で父の居宅は高藤により仏寺(勧修寺)となり宮道神社も造られた。余談ですが。
宮道弥益(ミヤジノイヤマス)の娘が烈子(レッシ)。「今昔物語」によると藤原冬嗣の孫の高藤が鷹狩りに出かけ悪天候で帰れず一夜の宿を請うたのが弥益邸。出会った烈子と15~6の高藤はごちゃごちゃと。無断外泊をした高藤は遠出を禁じられ烈子と再会したのが6年後。娘の胤子(インシ)と烈子を自宅に引き取った。後に胤子と宇多天皇との子が醍醐天皇となる。
| 名前 |
宮道朝臣列子墓(宮道古墳) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ya005.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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中臣十三塚古墳群の1つで墳丘が現存するのはこの宮道古墳と、近隣の折上稲荷神社の稲荷塚古墳のみである。埋葬者は宮道列子(みやじのたまこ)という。列子は「れっし」とも。宮道氏は遡れば日本武尊や景行天皇に連なるとか、あるいは物部氏の末裔という説もあるが、正直なところわかっていない。列子の話に戻すと、中下級の貴族だった宮道弥益(みやじのいやます)の娘として育てられた。藤原高藤(ふじわらのたかふじ)が山科へ鷹狩に来た際、雨宿りで立ち寄った宮道弥益の屋敷で列子に一目惚れしその夜に結ばれる。その時 2人の間にできた子どもが胤子(たねこ、または いんし とも)という娘である。胤子は58代・光孝天皇の第7皇子で臣籍降下していた源定省(みなもとのさだみ)と結婚したのだが、この源定省が紆余曲折あって後に59代・宇多天皇となる。そのため、宇多天皇の女御の父ということから藤原高藤は正五位下に叙せられ、その後 従四位下にまで昇進。列子の父である宮道弥益も宇多天皇 女御の祖父のため従四位下と同様に昇進している。また、源定省(宇多天皇)と胤子との間に生まれた長男の源惟城(みなもとのこれざね)は宇多天皇の即位とともに皇族に列し、やがて皇太子へ。その皇太子も13歳で宇多天皇から譲位され醍醐天皇となる。醍醐天皇の外祖父となったことで藤原高藤は正三位 中納言、大納言へと昇進を果たすことに。ここに眠る列子も醍醐天皇の外祖母となるため従三位と高位に叙せられた。後に醍醐天皇の外祖父母である藤原高藤、列子が亡くなると、ともに正一位が追贈され、高藤は太政大臣にも昇進している。余談ついでに・・・現在放映されている「光る君へ」の主人公 紫式部は藤原高藤、列子の玄孫にあたる。この古墳は勧修寺の管理下にあると思われ、地元の方々や石材店によって整備なされたことが石碑から窺える。(写真は今年の3月撮影)