平安の風、法住寺殿跡で癒し。
法住寺殿址碑の特徴
後白河法皇ゆかりの法住寺殿跡がある歴史的スポットです。
平清盛によって造立された蓮華王院が敷地内に存在します。
幅広い歴史を感じられる貴重な史跡として訪れる価値があります。
令和6年 5月5日 GW 京都 奈良法住寺殿址碑 蓮華王院この地は、平安時代末期に後白河法皇が約30年間にわたり院政を行った院御所「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の跡地です。蓮華王院(三十三間堂)は、後白河法皇が平清盛の資材協力を得て、この法住寺殿の中に創建されました。
「法住寺殿址碑」は、かつてこの地に法住寺殿という皇族の居所があったことを示す石碑です。法住寺殿は平安時代末期に建立され、後白河法皇が住んでいたことで知られています。
Nagyon szép kert. Nagy békesség a közelében pihenni.
後白河法皇の法住寺殿跡の案内板が敷地内にあります。
蓮華王院は長寛元年(1163年)に平清盛が造立した法住寺殿の堂宇の一 つ。かつてこの地は後白河法皇が出家して院御所として住し、法住寺殿と呼ば れていました。しかし、寿永2年(1183年)、木曾義仲の襲撃により焼失してしまいした。
| 名前 |
法住寺殿址碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi010.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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選任手殿は、保3年(1158)8月、その皇子・二条天皇に譲位して上皇となった後白河院が約30年にわたり院政(上皇が天皇に代って政権運営をする特異な政治形態)を行った政庁です。上皇になると天皇の住う御所とは別の所に専用の”廃所”を造営するのが通例で、先例の白河・鳥羽の両帝に続き、その度に大規模な土木工事が行なわれました。後白河院は譲位直後に御所の造営に着手、東山の麓から西は鴨川河岸まで、南北は八条坊門小路(現・東海道線南・大谷高校)から六条大路(現・六条通り)に及ぶ広大な地域で、その地名を取り「法住寺殿」と名付けたのでした。構内は政治的な設の「北酸」と“常の御所”と呼ぶ住居に三十三間堂をはじめとする宗教的堂塔が集中した「簡殿」に分かれ、東山を背にする丘陵に地中から湧き出たような大建築がを並べたといいます。永暦2年(1161)4月、月明かりの夜に、上皇はここに移り以後20年住まいとします。しかし、賑わいをみせた院の所も、寿永2年(1183)11月、対立するようになった木曽義仲の夜製にあい焼失しました。800年の昔に変らぬ姿でこの場所に伝承されてきた三十三間堂は、その時代をしのぶ希有の物証といえるでしょう。