神域の空気を感じる長瀬神社。
長瀬神社(八幡)の特徴
広大な鎮守の森に囲まれ、神域を感じる特別な空間です。
瀬織津姫命など五柱を祀る、歴史ある式内社として知られています。
管理清掃が少ない自然派の神社で、美しい紅葉が楽しめます。
長瀬神社(ながせじんじゃ)。新潟県加茂市八幡(旧大字上条)。式内社(小)、旧郷社。【祭神】瀬織津姫命 (配祀)言代主命 (主神)誉田別命 気長足姫命 (配祀)玉依姫命資料によると、伝承によれば、第29代欽明天皇(在位:539年-571年)の御代、勅願により勧請されたのが始まりと伝えられている。古くから上条村、狭口村の産土神として信仰されてきた。社号からも境内前面に流れる加茂川と関係が深く、当初は水神、川神として知られる瀬織津姫命1柱が奉斎された。その後、奈良県御所市の鴨都波神社の御分霊である言代主命が祀られるようになった。その由緒は不詳だが、隣接する青海郷は賀茂神社(上賀茂・下鴨)の神領だった。平安時代後期の長治2年(1105年)、源頼義の次男である加茂次郎源美濃守義綱が石清水八幡宮の御分霊(気長足姫命・誉田別命・玉依姫命)を勧請、合祀した。歴代領主からも崇敬され、庇護されて、社殿の造営や、社領の寄進、神宝の奉納などが行なわれた。戦国時代の永正5年(1508年)、天正2年(1574年)に造営の記録が残る。江戸時代初期の元和(1615年-1624年)・寛永(1624年-1645年)には、北は田上町湯川から南は三条市の塚之目に及ぶ41ヶ村、いわゆる青海庄八ヶ条の一宮と称された。江戸時代を通じて、新発田藩の藩主溝口家の崇敬社となった。江戸時代前期の延宝7年(1679年)、社殿が造営された。貞享5年(1688年)、4代藩主溝口重雄から社領8反が寄進された。八幡神が合祀されて以降「八幡宮」などと呼ばれた。現在の本殿は江戸時代後期の弘化4年(1847年)に再建されたもので、越中の名工松井角平によって手懸けられたもの。明治になり、現社号に復し、明治5年(1872年)には村社に列し、昭和16年(1941年)には郷社に昇格した。資料によっては、村社どまり、県社に昇格なども見られるが、おそらくは昭和16年の郷社昇格が正しいようだ。なお、式内社「長瀬神社」の論社は他に、市内の宮寄上に当社および式内同名神社があり、また五泉市の矢津八幡宮がある。とあります。
ここは、謎の神社⛩️でした。
広大な鎮守の森に入ると神域を感じさせる空気。宮彫りも見事で、木鼻は獅子と私の知らない霊獣でした。2024.6.1 参拝。
神社の境内に入った途端に空気がガラッと変わり荘厳な雰囲気になる。八幡、加茂(賀茂)というワードから連想すると、もしかして秦氏も絡んでいるのではないかという邪推をついしてしまう。たまたま先祖の故郷を辿っているときに加茂について調べていたらここに行き着いた。お祭りの際にはぜひとも神輿を拝見したい。
神職の方は誰も居ませんが、とても気持ち良く過ごせるお宮でした。是非、参拝に行ってみて下さい。
良い神社ですね😃
大登峠へ行く際に訪れました。神社裏のおのぼり橋を渡り、林道を超えて峠道に入ります。
長瀬神社(八幡宮)は、瀬織津姫命、言代主命、気長足姫命、誉田別命、玉依姫命の五柱を祀る式内社。加茂川そばの広い敷地内に数多くの境内社が点在する、まさに神域といった雰囲気が濃厚な場所です。拝殿は「八幡宮」の看板が掲げられた社で、その背後に「長瀬神社」の社があるという不思議な構造。元々、加茂川の上流に鎮座していた長瀬神社の神様が水害等の災害で流され、この地に流れ着いたので、ここに新たに社を建てた、という話もあったりして、「歴史」と「謎」を深く追求したい欲求にかられる神社です。
森の中の神社。階段がなだらかで登りやすいのは良いけど、もう少し木々の手入れはして欲しい。コロナ禍で、御朱印はお休み中との事。
| 名前 |
長瀬神社(八幡) |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0256-52-3101 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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八幡様(祭神は誉田別命、玉依姫、言代主命、気長足姫命)の後ろに長瀬神社があります。祭神は、瀬織津姫様。八幡様が瀬織津姫様を守るように、前にあり、長瀬神社には、入れなく塀の横から、参拝したら、龍神さんが、でてきてくれました。封印されていた瀬織津姫様を守り続けた神社なんですね。古き良き神社🙏加茂川の流れが心地よく浄化されました。