真言宗のお寺で安らぎを。
延命院の特徴
真言宗智山派の仏教寺院で、精神的な安らぎを与えてくれる存在です。
安房国四十八ヶ所薬師如来の一つとして、信仰の対象となっています。
国道から橋を渡り少し進んだ先にある、隠れた魅力が詰まった場所です。
無住寺院です。
真言宗智山派のお寺。石仏の置かれた大きな岩がいくつかある。
安房国四十八ヶ所薬師如来東口 第七番国道から橋を渡って入りすこし進みます。道沿いなのですぐに見つけられます。道は広く普通車の進入に不安はありません。自動車の行違いも問題ありません。駐車場は近くに普通車5、6台分の特設サイトがあります。
| 名前 |
延命院 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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山号を御嶽山と号し、地蔵菩薩を御本尊とする真言宗智山派の寺院で、創建年代等の由緒が詳らかでありませんが、江戸時代中期の延享年間(1744~1748年)に開創され、6年ごとに約2週間の開帳(寅年:本開帳、申年:半開帳)となる『安房国四十八ヶ所薬師霊場-東口十二薬師霊場』の7番札所に、明治5(1872)年に安房国長狭郡出身の名僧・金剛宥性(1821~1895年)が開創した『安房国百八ヶ所地蔵霊場』の108番札所に、江戸時代初期に頼勢上人(1575~?)が「戦国に散った霊魂の菩提の追善と天下和順を祈念し、現世に生きる庶民を苦しみから救うため」として晩年に開創、昭和51(1976)年に再興された『安房郡札三十三ヶ所(辰歳)観音霊場』の10番札所(御本尊:聖観世音菩薩)にそれぞれ指定されます。本堂に安置される御本尊の木造地蔵菩薩立像は朽損激しく、面貌など当初の姿が明確でありませんが、平安時代(794~1185年)の作と考えられる木造菩薩立像も脇侍として安置されており、境内墓地内の岩塊にやぐら(鎌倉時代から室町時代の中世にかけて造られた横穴式の納骨窟・供養堂)が造られ、奥壁に中世(鎌倉時代~室町時代)の建立とされる磨崖(自然の岩壁や露岩に文字や仏像などを陰刻または浮き彫りすること)の2基の五輪塔が浮き彫り(平らな石の表面を彫り下げて、文字や模様を立体的に表現する技法)されています。境内には、昭和59(1984)年建立の寺号標、他の村との力比べ勝負で勝ち取ったとされる左から72貫(270Kg)、40貫(150Kg)、20貫(75Kg)の3個の力石(江戸時代から明治時代にかけて鍛錬や娯楽として力試しや力比べに用いられた比重の大きな石)が奉納されます。他、大正12(1923)年に発生した関東地震によって南関東地域に大きな被害をもたらした地震災害・関東大震災の記録と記憶を後世に伝える自然災害伝承碑『大正十二年大震記念』碑が建碑され、記念碑には「大きな震えに見舞われ、山は崩れ家屋は悉(ことごと)く倒れ、人が死に負傷した。天皇陛下は御下賜金を賜いこれを救った。」と記されます。この記念碑は、館野地区腰越の在郷軍人会と青年団一同が、大震災の死者・行方不明者(推定10万5,000人)を追悼するために一周忌である大正13(1924)年に建碑、大地震により露頭岩の基礎部が折損し、その破片とされる大きな岩が記念碑左に鎮座します。このように、南関東地域に甚大な被害をもたらした関東大震災の記録と記憶は、写真・日誌・報告書・印刷物・記念碑・慰霊祭・伝承といったさまざまな方法で受け継がれ、未来へと伝えられていきます。境内に駐車スペースあります。