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名前 |
中村敬宇先生旧宅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
銘よりーーー中村敬宇先生旧宅跡中村正直(敬太郎) 号 敬宇天保三年(一八三二)〜明治二四年(一八九一)中村正直は、江戸の幕臣の家に生まれ、幕府の昌平坂学問所で学びました。後に学問所の教授・学頭も努めイギリスに留学しましたが、大政奉還に伴い帰国し、駿府藩主となった幼い徳川家達をおって駿府に移り住みました。当時のわが国最高学府であった静岡学問所(駿府城三ノ丸内)の一等教授に就任し、徳川家達をはじめとする子弟の教育に努めました。ここ大岩の地に『無所争斎』と名付けた半洋式の住宅を建て、明治五年六月に東京に移るまで住んでいました。中村正直は、静岡で『西国立志編』・『自由之理』を翻訳出版し、高い評価を得ています。帰京後も、西周(もと沼津兵学校頭取)等とともに西洋の啓蒙思想の普及に貢献した近代洋学の第一人者でもありました。「旧宅跡」の碑は、大正十五年に建立されたものですが、頭部は戦災によって破損消滅してしまいました。《平成八年三月 静岡市教育委員会》