ここに来ても何もないよ!
北条陣屋跡の特徴
北条陣屋跡は何もない静けさが魅力です。
敷地には歴史を感じる空気が漂っています。
館山市北条の散策にぴったりな場所です。
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個人のお宅の敷地内にあるようで、外から一切、中を窺うことは出来ません。
名前 |
北条陣屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
1.9 |
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ここに来ても何もないですよ。単なる住宅街です。陣屋の跡はないかなぁって、ひと様のお家をのぞきこんだりしてたら、不審者として通報されますよ。現在の住宅地をグーグルマップで見て、ほぼ正方形な区画とか見つけちゃったら、ははぁ〜ん。ここが陣屋の痕跡かもなぁなんて歴史ロマンに浸りながらながらニヤニヤしちゃってください。決してひとの家をのぞきながらニヤニヤしたらダメですよ。この辺りを通れば、道路と家屋が数mの高低差がある場所があるので、あ、これ陣屋跡だわ、ってわかる人はわかりますよ。江戸時代の北条藩は2回あり、1回目は1638年から1712年の間、屋代さんが藩主をしてたが百姓一揆が起きて取り潰しになった。2回目は1725年に信濃からきた水野さんが藩主をしていたが、1827年上総に転勤していった。この時、北条城と名乗っていたそうな。藩がない時代も海防陣屋として、御固(おかため)という防衛任務の士族が使った。異国船を打ち払うために、奥州白河藩、武州忍藩、備州岡山藩の藩士などの士族が居住し、大砲も装備していた。大砲の台座は、安房高の南隣の稲荷神社に残っている。士族は子供でもプライドが高くて気性も激しく、百姓や町人の子供たちは怖がって近づけなかったらしい。