入江御所で心癒すひと時。
三時知恩寺の特徴
室町時代の崇光天皇の旧御所入江殿由来の寺院です。
尼門跡寺院入江御所として名を馳せています。
特別公開時に御朱印を拝受できる貴重な場所です。
【三時知恩寺門跡】2025.11.3浄土宗光照院門跡から、上京区総合庁舎前バス停を目指して歩いていると、右手に同志社大学新町キャンパス、左手に朱塗りの立派な山門が見えました。駒札を見ると、「三時知恩寺」(みときちおんじ)と知りました。駒札によると、「浄土宗の尼門跡寺院で、14世紀半ば、後光厳天皇皇女・見子内親王によって創立された。崇光天皇の旧御所の入江御所を賜ったことにより、入江御所と称する。後柏原天皇は厚く浄土教に帰依され、昼夜六時の勤行のうち、昼の三時(みとき)はこの寺にて勤修するようとの勅命によって寺号を三時知恩寺とした伝えられる。」とありました。通常は非公開で、時々特別公開があるようです。webによると、「桃園天皇の女御の御殿を賜った見事な北山杉の丸太が使われいる「蓬莱(ほうらい)の庭」をのぞむ書院や琵琶湖の漁の様子を描いた円山応挙筆の襖絵「魞漁図(えりぎょず)」,京狩野の作風を伝える優美な六曲一双の屏風「花鳥図屏風」(狩野永納作),歴代天皇から賜った調度品などの寺宝が見事だ。」と。次回の特別公開が楽しみです。
新町上立売を南に行った東側にあるのが浄土宗の尼門跡寺院である「三時知恩寺(さんじちおんじ)」になります。「三時知恩寺(さんじちおんじ)」は「入江御所」とも言われます。非公開寺院になります。【三時知恩寺の歴史】南北朝時代、後光厳天皇の皇女である見子内親王が崇光院帝の旧御所をたまわり、「入江御所」と称された。その後、室町幕府第3代将軍足利義満の娘である覚窓性仙尼(性善尼とも)を開山として、知恩寺が創建されました。後柏原天皇が宮中での昼夜六時勤行のうち昼の三時は、この寺にて修するように定められたので、「三時知恩寺」と改められました。以来、皇女が相次ぎ入室され明治維新に及びました。天明8年(1788年)の大火に堂宇は焼失しました。現在の堂宇は、桃園天皇の皇女である御恭礼門院の旧殿をたまわり再建されたもになります。天明の大火後、恭礼門院の旧殿を賜わりました。大徳寺塔頭から移築されたもである本堂(客殿)には、「本尊阿弥陀如来像」や俊仍(しゅんじょう)が宋から請来した善導大師の自作と伝わる「善導大師像」が安置されています。また、重要文化財の「近衛予楽院画像」や京都市指定文化財の狩野永納筆の「花鳥風屏風」なども所蔵しています。2025年10月訪問。
同志社の前のお寺です。入ることはできません。
室町時代、崇光(すこう)天皇の旧御所「入江殿」を寺院に改めたのが起こり。「入江御所」とも呼ばれた尼門跡寺院。宮中で行われていた六時勤行(一日六回の念仏読経)のうち、昼の三時(三回)の勤行はこの寺で行うようにとの勅命により、名付けられた。歴代天皇から賜った調度品などの寺宝も特別公開される。
特別拝観時にお参りしたことがあります。今では住宅に囲まれ狭い敷地ですが、昔はもっと広い境内だったのでしょうか。立札によると、浄土宗の尼門跡寺院であり、十四世紀半ばに後光厳院の皇女・見子内親王によって創立されたとのことです。
尼門跡寺院入江御所としても知られる。普段は非公開となっており、特別拝観時に参拝した。桃園天皇女御の御殿を祀った書院や蓬莱の庭などが見どころか。境内は一切撮影禁止である。
令和2年1月25日参拝拝観受付にて御朱印(書置き)拝受しました。通常は非公開です。現在「京の冬の旅」が開催中につき、拝観が可能です。内部では学生ボランティアさんが展示物の説明をしてくれます。
2020/01/19訪問。2020年京の冬の旅、の特別公開で訪れました。拝観料¥600-。建物内、庭園ともに写真NGです。パンフレットかホームページのどちらかには記載してほしいですね。写真OKの方に行きますので。庭園はこれと言ったところが見受けられず、襖絵は普通に見えるところはいいのですが、奥の方の部屋はうす暗くあまりよく見えませんでした。
尼門跡らしい佇まいの三時知恩寺は浄土宗に属し,入江御所といわれます。南北朝時代,後光厳天皇の皇女見子内親王が崇光天皇の入江御所を賜わって住まれました。その後,足利義満の女覚窓性善尼を開山として知恩寺となります。室町時代末期,後柏原天皇は宮中で毎日6回行われる六時の念仏のうち昼間の三時をこの寺に付託されたので,三時知恩寺となりました。天明の大火後,恭礼門院の旧殿を賜わり,本堂には本尊阿弥陀如来像,俊仍が宋から請来したという善導大師像が安置され,重要文化財の近衛予楽院画像や,京都市指定文化財の狩野永納筆の花鳥風屏風なども所蔵しています。(京都市)Sanji-Chionji Temple, which looks like a nun, belongs to the Jodo sect and is called the Irie Gosho. During the Northern and Southern Dynasties, Emperor Gokogon's Princess Naishinnō lived with the Imperial Palace of Emperor Suko. After that, Yoshimitsu Ashikaga opened the mountain and became Chionji Temple. At the end of the Muromachi period, Emperor Go-Kashiwabara was entrusted to this temple at 3 o'clock in the daytime out of the 6 o'clock Nembutsu held six times daily in the palace, so it became Sanji-Chionji.After the Great Fire of Tenmei, the former shrine of Kyoreimonin was given, and the statue of Amida Nyorai, the principal idol, and the statue of Shandao Daishi, who was commissioned by Shunsuke from Song, were enshrined in the main hall. It also holds the flower and bird style lanterns written by Einō Kano, a cultural property designated by Kyoto City. (Kyoto City)
| 名前 |
三時知恩寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-451-2211 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 10:00~16:00 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
〒602-0024 京都府京都市上京区新町通上立売下ル上立売町4−4 |
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26年3月14日、秘仏善導大師像御開帳に行きました。通常非公開の寺院ですが、毎年3月14日に善導忌が10時から本堂で行われます。一年に一度だけ御開帳されるそうです。参拝者はお寺関係者も多かったのですが、一般の人も参拝料を納め参加できました。この日限定の御朱印も何種類かありました。尼寺のため善導忌の法要は女性の僧侶が行っていました。花びらの形をした華やかな色紙を仏様にまく散華(さんげ)が間近で見れて感動しました。また、法話も楽しいお話が聞けました。建物内は写真撮影禁止でした。法要と法話が終了したのは11時45分ごろでした。