二条天皇陵の静謐な参道。
二條天皇陵 香隆寺陵の特徴
第二十八代天皇二条帝の御陵、香隆寺陵がここにあります。
平安時代後期の歴史に触れられる貴重なスポットです。
整備された参道が参拝者を優しく迎えてくれます。
二条天皇陵参拝!
車で行ったのですが駐車場がなくて、前の道路が交通量も少なくて4m道路なので、少し止めて参拝しました。
平安時代後期、第78代天皇。中世に山陵の所在を失い、1862年(文久2年)から行った「文久の修陵」の際にも決定しませんでした。明治になってから現在の場所に決定しました。円丘の陵墓です。
陵形は円丘で香隆寺陵とも言われます。参道には松が美しく植えられており、陵墓内にある細長い松が印象的です。宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると面積は3852.75㎡と記されています。2019年12月現在、鳥居の改修工事が行われています。
(19/01/03)二条天皇(にじょうてんのう):第78代天皇(平安末期の天皇、後白河天皇の長男)崩御ののち香隆寺の北の野で火葬し遺骨を一時香隆寺本堂に蔵めましたが中世に山陵の所在を失いました。江戸時代の諸陵探索の際にも定説を得ませんでした。明治時代に現在の場所に治定されました。
綺麗に整備された参道が印象的です。
名前 |
二條天皇陵 香隆寺陵 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-541-2331 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

第78代二条帝の御陵は、平野神社と立命館大の中程に位置し、閑静な住宅街の一画にあります平家物語では、陵墓の門に掲げる偏額が原因で山門(延暦寺)と南都(興福寺)の争いが描かれ(額打論)、これが発端となって清水寺が山門勢力の焼討に遭ったとのことです(清水寺は当時、南都仏教との関わりが深い寺院でした)二条帝の治世は、父である『治天』後白河上皇派と天皇親政派との政治対立が『平治の乱』を引き起こした原因の一つとなりました。また前述の南都北嶺をはじめ寺社勢力が朝廷に対したびたび強訴に及ぶなど、武士の政治的台頭と相まって、平安の世から中世の胎動が高まり行く変革の時代でした。