囲碁本因坊発祥の地で、歴史に浸る!
囲碁「本因坊」発祥の地の特徴
京都市中京区に位置する本因坊の発祥地がここです。
石の碁盤が設置された歩道上は歴史的価値があります。
立札が目印となり、囲碁ファンが訪れるスポットです。
中京区寺町通夷川上ル藤木町にあるのが「囲碁「本因坊」発祥の地」になります。車道寄りに石でできた碁盤と座席・説明の駒札が設置されています。スマホの地図を見つつ建物側ばかり気にして見ていたので気付かずに通り過ぎてしまった。囲碁の名人である本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)が住んでいた寂光寺(じゃっこうじ)の塔頭である本因坊跡を示すものになります。江戸時代には、囲碁の名人は家元制であった。本因坊家・井上家・安井家・林家の四家が碁の家元と呼ばれる。この四家は、年に一回 江戸城内で行われる御城碁(おしろご)の勝負をしていました。21世の本因坊秀哉真が真の実力者が本因坊を名乗るべきとしてその名跡を日本棋院に譲り渡して昭和11年(1936年)今なお続く選手権制の「本因坊戦」が誕生しました。
囲碁「本因坊」発祥の地、らしい。といっても、囲碁がよくわからないので、その価値が、、。きっと囲碁に造詣の深い人には、何らかの感慨があるような、そうでもないような…。
御池通と丸太町通の間,夷川通が寺町通にぶつかった所の歩道上に 『囲碁「本因坊」発祥の地』と書かれた駒札が、そして近くには 2つの石の腰掛けに挟まれて石の碁盤が2009年1月から置かれています。この「本因坊発祥の地」は、寺町通夷川上ルのこの地にあった寂光寺の塔頭の「本因坊」に由来します。豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院を御土居沿いの寺町に集められましたが、寂光寺(別名、久遠院)もこの地に移転した寺院のひとつです。その寂光寺の塔頭「本因坊」に住んでいた僧侶の日海は信長・秀吉の時代から囲碁の名人として名高く、江戸幕府が徳川家康によって開かれると本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の碁所を任されました (寺はその時に弟子に譲りました)。以後、「本因坊」の名は江戸時代を通じて世襲されていきます。(ちなみに完全に江戸に移住せずに、春に江戸、年末は京都に戻る「二拠点生活」だったらしいです)しかし時代が昭和に入ると、第21世本因坊、秀哉(しゅうさい)が真の実力者こそ「本因坊」を名乗るべきとして日本碁院に名を譲りました。そして、それ以降、昭和11年(1936年)から「本因坊」の座を競う本因坊戦が始まったとのことです。現在、大火により寂光寺自体は鴨川の対岸の「東山通仁王門西入ル」に移転していますが。そこには算砂愛用の盤石や直筆の狂歌などの貴重な資料が収蔵されているらしいです。
まさか、碁の発祥が京都とは思いませんでしたが。しかも寺町でとは^_^今、石があれば、此処で楽しめますよ^_^
名前 |
囲碁「本因坊」発祥の地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-213-1717 |
住所 |
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HP |
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=202 |
評価 |
3.8 |
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京都市中京区寺町通夷川上る東側にある本因坊の発祥の地の立札と石な碁盤があります。江戸時代、安井家・井上家・林家と並ぶ囲碁の家元四家のうちの一つです。昭和になって創設された、囲碁の棋戦の一つである本因坊戦に優勝した棋士に贈られるタイトルにもなっています。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕えた(とされる)日海(一世本因坊算砂)を開祖とする家系といわれています。