京都の静謐、準提堂の御朱印。
積善院 凖提堂 (五大力さん)の特徴
不動明王と凖提観音を本尊として祀る特別なお寺です。
聖護院の隣に位置する、アクセスしやすい場所にあります。
もと栴ノ坊と号し、歴史的な背景がある寺院です。
2026/2/2本堂は小さいですが 珍しい物もありました。
令和七年 二月二十三日 京都冬の特別拝観の旅⛄️積善院 (五大力さん)鎌倉時代に熊野神社の北西に建立された。不動明王を本尊とし、仏乗院や栴ノ坊(なぎのぼう)とも呼ばれた。聖護院門跡の院家として門跡の業務を代行する本山派山伏の筆頭寺院である。熊野神社の南東にあり、寛政11年(1799年)に光格天皇の勅願で創建された凖提観音を本尊とする凖提堂を、1880年(明治13年)に積善院は合併している。積善院はその寺基を凖提堂の境内地に移すこととし、凖提堂の本堂を積善院の新たな本堂とし、もとの積善院の本堂はこの地に移築して行者堂とした。これにより、正式名称を「積善院凖提堂」に改めるとともに、積善院は不動明王と凖提観音の両者を本尊とするようになった。
2023年4月9日に参拝しました。「五大力さん」とも呼ばれている聖護院門跡の塔頭寺院です。京都では様々な災厄から免れるためにお札を貼りますが、「五大力」もその一つです。敷地は広くはありませんが、本堂・拝堂・行者堂などがあり、手入れが行き届いたとてもきれいな境内でした。桜がほぼ葉ざくらになっていたので、次回は満開の時期に訪れたいと思いました。聖護院周辺にあった本山修験の4寺院、積善院・準提堂・才知院・定泉院が一つになった寺院です。創建は、鎌倉初期で、熊野神社の北西に位置していましたが、1880年この地にあった準提堂と合祀し、江戸時代に才知院を併合した定泉院を2000年に合祀し、現在に至ります。
凖提堂(じゅんていどう)は凖提観音(じゅんていかんのん)をお祀りする寺として創建されました。 生涯に渡り凖提観音の信仰を拡めた「豪潮(ごうちょう)」というお坊さまに帰依しておられた光格天皇は、豪潮の勧めもあり凖提観世音菩薩を祀る事を発願されます。 熊野神社の南に凖提堂が創建され、一七九九年八月一日に聖護院宮(しょうごいんのみや)盈仁親王(ゆうにんしんのう)により本尊が開眼供養され光格天皇も参詣されたことや、禁裏や御所女中、尼寺である霊鑑寺などから多くの寄進があった事が記録に残ります。 現賽銭箱も今は無き二條新地の女性たちの寄進であったことが記されています。現本堂は江戸時代の本堂が伝わっていますがこの本堂は大正十三年までは旧地にあり、明治期の参道の写真も残っています。修験禁止令によって明治十三年に積善院が合祀され、大正三年に聖護院の旧鎮守社跡の現在地に移動し、その際に本堂が広げられました。昭和四十年代に収蔵庫形式の内内陣が完成、積善院の御本尊、不動明王と共に祀られました。 さらに平成二十六年に改修工事が行われ、才知院本尊弁財天、定泉院本尊役行者も共に祀られています。 この時明治の神仏判然令によって、削り取られた柱の菊の御門を復元しています。(同社HPより)凖提観音凖提観音(じゅんていかんのん)は『仏道修行を志す者を導き、あらゆる難から人々を救い、人の心の汚れ(煩悩)を清淨にして悟りの世界に導く』とされます。 凖提観音の修法を行う者は、清濁、出家・在家、飲酒肉食、既婚・未婚を問わず、仏道を達成すると言われます。当院の凖提観音は光格天皇の勅願ということもあり、木造彫刻の凖提観音としては非常に大きな姿をされています。(像高三百二十センチ) 更にその大きさだけでなく、細部の造形も非常に緻密で目を見張ります。 創建に深く関わられた光格天皇が崩御されたのち、欣子内親王は凖提観音を本尊として供養されたことが史料に伝わります。 凖提観音は「五大力菩薩」と共に祀られる事が多く、当院でも毎年二月二十三日に五大力菩薩が開帳されます。(同社HPより抜粋)Junteido was built as a temple to enshrine Kannon. Emperor Kokaku, who had been a devotee of a monk named Gocho who spread the faith of Kannon throughout his life, decided to enshrine the Bodhisattva Gocho at Gocho's advice. An application will be filed. A temple hall was built to the south of Kumano Shrine, and on August 1, 1799, the principal image was offered a memorial service by Prince Yuunin of Shogoin Palace, and Emperor Kokaku was also worshiped. There are records that it was visited and that there were many donations from the Imperial Palace, the maidservant of the Imperial Palace, and the nunnery Reikan-ji Temple. It is written that the present offering box was also donated by the women of Nijo Shinchi, which no longer exists.The current main hall is said to be from the Edo period, but this main hall remained on the old site until 1920, and there are still photographs of the approach to the shrine from the Meiji period.Due to the ban on Shugen Shugen, Sekizen-in was enshrined in the 13th year of the Meiji era, and in the 3rd year of the Taisho era, it was moved to the current location of the site of the former guardian shrine of Shogo-in, and the main hall was enlarged at that time.In the 1960s, a storage room-style inner shrine was completed, and it was enshrined together with the principal image of Sekizen-in, Fudo Myo-o. Furthermore, renovation work was carried out in 2014, and Saichi-in's main image of Benzaiten and Josen-in's main image of En no Gyoja are enshrined together. At this time, the chrysanthemum gate, whose pillars had been carved out, was restored in accordance with the Meiji Era's Shinto and Buddhism laws.(From the company website)Kannon KannonJunteikannon is said to ``guide those who aspire to practice Buddhism, save people from all kinds of hardships, and purify the filthiness (worldly desires) of people's hearts to lead them to the world of enlightenment.'' It is said that those who practice the practice of Kannon will attain Buddhism, regardless of whether they are pure or not, whether they are monks or laypeople, whether they drink or eat meat, whether they are married or unmarried.The Kōdai Kannon at our hospital is said to have been the imperial wish of Emperor Kokaku, so it is a very large wooden carved Kōdai Kannon. (Statue height: 320 cm) Not only is it large, but the details of the sculpture are also extremely detailed and eye-catching. After the death of Emperor Kokaku, who was deeply involved in the founding of the temple, historical records indicate that Imperial Princess Kinko held a memorial service with the Kannon as the principal image. Kannon is often enshrined together with the Five Power Bodhisattvas, and at our hospital, the Five Power Bodhisattvas are unveiled on February 23rd every year.(Excerpt from the company's website)
凖提堂の御本尊は凖提観音で、こちらでは凖提観音の随身が五大力菩薩とされています。五大力菩薩は、「仁王般若波羅蜜経」に基づき、・金剛吼菩薩(こんごうくぼさつ)・無畏十力吼菩薩(むいじゅうりきくぼさつ)・龍王吼菩薩(りゅうおうくぼさつ)・無量力吼菩薩(むりょうりきくぼさつ)・雷電吼菩薩(らいでんくぼさつ)の五菩薩とされています。五大力菩薩は、現代でも国家鎮護や国土安穏を祈念する「仁王会(にんのうえ)」の場で登場します。その後、「金剛頂経」に空海(774〜835年)が独自の解釈を加えた「五大明王」が構成され、・不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王五大力菩薩と習合します。その結果、もともと柔和相であるはずの菩薩像が、憤怒相として定着することとなります。五大菩薩と五大明王は、五智如来とともに東寺の講堂で立体曼荼羅として一堂に会しています。「紫式部日記」(1008〜1010年)には、「まだ夜深きほどの月さしくもり、木の下をぐらきに、『御格子まゐりなばや』『女官はいまださぶらはじ』『蔵人まゐれ』などといひしろふ程に、後夜の鐘うちおどろかし、五壇の御修法、時はじめつ」拙訳:夜明け前の月に雲がかかり、ほの暗かったところ、「蔀戸(しとみど)を開けよ」「女官はまだ揃わないのか」「蔵人集まれ」などと声が上がっていると、暁の鐘が鳴り、五大明王の祈祷が始まったとの記録があり、土御門邸もしくは宮中で五大力信仰が修法されていたことがわかります。同じ頃、藤原道長(966〜1028年)は、自身の40歳を記念して五大明王像を彫らせており、そのうちの一体「(土力)不動明王」が、いまでも東福寺塔頭の同聚院に祀られています。阿弥陀信仰(極楽浄土)、観音信仰(現世利益)、薬師信仰(病気平癒)などが現代でも生き残り続けていることに比べると、五大力信仰は薄らぎ始めているような印象を抱きがちですが、毎年一月八日から七日間、東寺にて国家鎮護のため後七日御修法(ごしちにちみしほ)が執り行われています。
聖護院門跡から足を延ばして久しぶりに参詣しました。長い名前は「積善院」と「凖提堂」が合併したためです。境内には「人食い地蔵」・「お俊伝兵衛恋情塚」に加えて「三高地蔵尊」などという面白いものがあります。その近くの鬼瓦はいい顔をしています。なお「恋情塚」の発起人の一人は義太夫の不世出の名人「豊竹 山城少掾」であることを知りました。2024年11月14日。
聖護院の隣にあります。御朱印は、書き置きの物を頂けます。
2023年2月2日に訪れました。聖護院門跡や須賀神社が節分祭りで賑わう中、こちらは静かに落ち着いた雰囲気。2月下旬に行われる五大力尊法要が有名ですから…と、どこ吹く風…ということではないですが、書置きの御朱印が凖提佛母尊と大弁財天と、それぞれ、お姿が描かれたバージョンもあって、拝受。焚き火に温まりながらご利益を得ました~
不動明王と凖提観音を本尊としてまつります。2月23日の五大力尊法要は多くの人が参拝に訪れます。平安末期に非業の死を遂げた崇徳上皇を鎮めるために建立されたお地蔵さんもあります。
| 名前 |
積善院 凖提堂 (五大力さん) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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【積善院 準提堂・せきぜんいん じゅんていどう】京都市左京区にある聖護院門跡の塔頭寺院です。毎年2月23日に執り行われる『準提堂の五大力さん』と称される五大力尊法要を楽しみに参詣いたしました。日頃の境内は静寂そのものですが、この日だけは境内に大勢の地元の御詣りの方々が押し寄せ、それはそれは賑やかで心弾むものです。積善院の御本尊は不動明王さま。準提堂の御本尊は準提観音さま~仏道修行を志す者を導き、あらゆる難から人々を救い、人の心の汚れ(煩悩)を清淨にして悟りの世界に導くとされます。五大力さんこと秘仏の菩薩さまの御開帳法要がこの2月23日に行われます。五大力菩薩とは…金剛吼菩薩(こんごうくぼさつ)さま無畏十力吼菩薩(むいじゅうりきくぼさつ)さま龍王吼菩薩(りゅうおうくぼさつ)さま無量力吼菩薩(むりょうりきくぼさつ)さま雷電吼菩薩(らいでんくぼさつ)さま当日は朝から門前より山伏衆による法螺貝の笛の音が鳴り、山伏衆とお坊さま方が御出迎えくださいます。広くはない境内ですが、大勢の参詣の方々で午前中からいっぱいです。御本堂からは御祈祷の御声が響き、境内にて行われる御加持の錫杖の音や御祈祷の気合いも勇ましい。何とも活力に満ちた境内の様子です。御祈祷された御札や御守り【家内安全】【盗難除け】【交通安全】が授与されます。御札は御住職さまが手摺りなさったもので、より一層ありがたく感じられます。