飽富神社の精緻な彫刻と狛犬。
飽富神社の特徴
飽富神社は袖ケ浦公園近くに位置し、開放感あふれる境内です。
精緻な彫刻が施された拝殿向拝や古社の雰囲気が魅力的です。
狛犬ファン必見の珍しい狛犬と石燈籠が境内に存在します。
飽富神社(あきとみじんじゃ)。千葉県袖ケ浦市飯富。式内社(小)、旧県社。主祭神:倉稻魂命【関係氏族】飫富氏資料によると、この神社は、平安時代初期に編集された「三代実録」という史書や、「延喜式」という法令集の中にすでにその名が記されている式内社で千年以上も前から存在した古社です。旧称を飫富(おおとみ)神社といい、県内では香取神宮・安房神社など十八社ありますが、君津地方では唯一のもので、歴史的価値の高い神社です。創建は、社伝によると第二代綏靖天皇元年(BC34)で、天皇の兄「神八井耳命」が創建したと伝えています。祭神の主神は「倉稲魂命」という稲の神、すなわち農業神で、古くから農民の信仰を集めてきました。古代この地区は海であったがその後、土地の隆起や小櫃川の土砂が堆積したりして、この入海は次第に潟となり、芦荻の茂る沼沢地となつていつた。そこへ、古墳時代の終り頃、有力なる首長(飫富氏)を中心とする集団が来つて定住し、この広大なる沼沢地を開墾し、生産力の大きな農地を造出したものと思われる。とあります。
倉稲魂命を主祭神、大己貴命・小彦名命を配祀神とする神社で、社伝によると第2代・綏靖(すいぜい)天皇(BC632~BC549年)の御代、弥生時代の綏靖天皇元(BC581)年4月に兄・神八井耳命が創建したとされ、現社殿は江戸時代の元禄4(1691)年に再建された権現造り、同時代の文化年間(1804~1818年)に改修されています。当社は、平安時代初期に編纂された歴史書『日本三代実録』(858~887年)や、平安時代中期の延長5(927)年に編纂された律令の施行細則を記した法典『延喜式』の神明帳に上総国の式内社(朝廷から官社として認識されていた神社)として登載されており、境内北東に建立される東照宮は、武将/旗本・天野雄得(光得/佐左衛門/1575~1630年)が江戸時代の元和8(1622)年4月に久能山東照宮(駿河国)から勧請して創建、同時代の元治元(1864)年に再建され、両社殿が『飽富神社及び東照宮』として袖ケ浦市の有形文化財(構造物)に指定、また、毎年1月14日深夜から翌15日未明にかけて、当社氏子達が米・麦・粟・稗等9種類の農作物の豊凶を占う年中行事が厳かに執り行われ、『飽富神社の筒粥』として千葉県の無形民俗文化財に指定されます。末社として境内に75社が鎮座、本殿に東之方御末社20社と西之方御末社13社、本殿後に東之方御末社5社と西之方御末社5社、亥之方(北北西)御末社9社、南方御末社3社、寅之方(東北東)御末社4社、卯之方(東)御末社2社、北方御末社10社、丑之方(北北東)御末社2社、申之方(西南西)御末社2社の計75社75座が神域内に斎き祀られ、明治維新後の近代社格制度において県社に列格された飯富地区の氏神です。西側に未整備の専用駐車場あります。
『飽富神社』住所→〒299-0256 千葉県袖ケ浦市飯富2863祀神︰倉稲魂命御朱印:あり駐車場:あり備考:・創建年代は、第2代天皇綏靖天皇の頃とされている・現在の社殿は元禄4年(1691年)に再建されたもので、元和8年(1622年)に建てられた東照宮と共に市指定文化財に指定されているとか・御祭神は稲荷神社で主祭神として祀られている『倉稲魂命』であるが、此方の神社は稲荷神社ではない・境内には『天神七福神』が描かれた看板があり、此方の絵は昭和5年に飽富神社の当時の神主である『深河常陸介喬栄』によって描かれたものだとか・一般的に七福神はインドや中国の神や高僧にて構成されている為、この様に日本の神様だけで構成される七福神は大変珍しいらしい・ちなみに、飽富神社以外では兵庫県の西ノ宮神社でしか日本の神様だけの七福神は無いとされている・様々な神社の末社が多くあり、無い神社を探す方が大変なぐらいに多くあった・私が参拝したときには、地元の御婆様が焚火を焚いて談笑していた・地元住民に愛されている神社といった印象で、参拝したときに焚火の御婆様に声をかけられて私が地元の人ではないということは直ぐに気付かれた・今時は、地元が同じでもイチイチ顔など覚えておらんものだが、それだけ此方は地元住民の繋がりが深い傾向にあるのだろう・御朱印は社務所の小窓を開けて、自分で取る形となっている・駐車場は分かりづらく整備されたものでもない為、一般的には入口前に1台ぐらいなら駐められそうな空地があるのでそちらに駐める人が多いとか・令和7年1月13日(月)の10時24分頃に参拝させてもらった#神社#御朱印#結月大佐の御朱印さんぽ。
2024/9/15参拝氏子のみなさんが数名いらっしゃって掃除やら整備やらされていました。投稿されている画像を見ると拝殿が解放されているものが多いので、毎週のように来ているのかもしれません。拝殿を覗くと多くの絵馬が見えたのでお願いして鑑賞させて頂きました😊十枚以上の絵馬はどれも素晴らしく感激しました。題材がわかったものは「スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治」「天岩戸」「韓信の股潜り」「源頼政の鵺退治」「宇治川の先陣争い」「川中島の戦いの武田信玄と上杉謙信」「牛若丸と鞍馬山の天狗」です。東照宮の彫刻も素晴らしい。左側胴羽目に龍を治療している馬師皇、背面にはおそらく董奉、右側には梅妻鶴子の林和靖が彫られていました。大変でしょうが氏子の皆様にはいつまでもこの素晴らしい神社を護って頂きたいと思います。年間通して様々な行事も行っているようなので、いつか祭事を観に行ってみたいです。
境内は広くないが静かで明るく空気も澄んで開放感がありますまた式内社の古社らしい落ち着きを感じます子供の狛犬が戯れている石燈籠が珍しいし、拝殿向拝の彫刻は精緻で素敵です境内社や石祠が多いが、案内によると飽富神社の七十五末社と呼ばれてるらしいですが、ちゃんと75全部あるのかは未確認です。
全国の狛犬ファンの皆さ〜ん、ここは要チェックです!いつもの台座から離れたちんまい狛犬ちゃんズが、灯籠の下で遊んじゃってます。いやこんなのはじめてみました。入り口はわかりにくく通りすぎたりもしますが、無事辿り着いた暁には、素敵な感動が待ってます。(写真はネタバレしない程度にちょっとだけ)あと、彫刻も素晴らしいです。本殿から離れて所に、竜の髭を愛でる謎の人物あり。
台風被害の復旧があまり進んでないようです。
袖ケ浦公園の近くにある神社です。道が狭いので、ご注意下さい。
延喜式式内神社というので、20210212に参拝させて頂きました。鳥居をくぐると石燈籠にまとわりついてる小さな狛犬たち、ニ頭一組、すごく可愛いらしい。文久ニ年と記されている。1862年?鳥居は、嘉永四年u003d1851年?160〜150年前のもの。大きな狛犬は、天保九年=1838年(台座と狛犬が一緒の場合)、と歴史を感じました。ただ本殿の方を見に行っておどろのが、本殿の奥の方の森林が伐採されたというより、朽ち果てたという表現があっている。何かゾットした。境内は、無人でしたが色々修復中でした。2019年の台風15号による被害とありました。自然の恐ろしさを感じました。神社の修復が無事に進みますようお祈りいたします。
| 名前 |
飽富神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0438-23-8881 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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袖ヶ浦駅からバスに揺られること、数十分。境内に凝った造形の石灯籠がある飽富神社があります。こんな楽しい造形を造った石工と、それを許した神職は凄い。