化野念仏寺の香と歴史。
あだし野念仏寺の特徴
嵯峨野の奥に位置する歴史ある化野念仏寺です。
平安時代以来の墓地として知られている神聖なスポットです。
集中豪雨でも美しい香りが漂う静かな雰囲気が魅力です。
☂降りしぶく雨に佇む軒下に漂う香(こう)は弥陀の国より2024年8月25日(日)、夕方出かける頃集中豪雨になって小降りになるまで1時間ほど待ちました。韓食堂で夕食を済ませたころには雨が止んでいましたが山陰線が落雷と豪雨のために20分ほど遅延しました。嵐山嵯峨野駅からタクシーはありませんでした。念仏寺に着く少し前から雨が降り始め、入山(入山料1000円)終了の20時半ぎりぎりに到着した頃には再びの豪雨でした。提灯の吊り下げられた順路を歩くのがやっとのことで、殆ど本堂軒下で雨宿りして過ごしました。千灯供養は西院の河原にまつられている数千体の無縁仏にろうそくを灯して供養する宗教行事ですが、雨のため近づくこともできませんでした。いただいたロウソク1本使う機会がありませんでした。折しも参道には町の地蔵盆の行燈が飾られてありました。
嵯峨野の奥の化野(あだしの)は、東山の鳥辺野などともに、平安時代以来の墓地として知られた場所。亡きがらとともに埋められたとされる数千体の無縁仏が集められ、こちらの寺に祀られています。西院(さい)の河原と名付けられたそのエリアは、凄愴感あふれる雰囲気です。もはや形もさだかでなく、苔むしているものもある無数の無縁仏たち・・ そのそれぞれにどのような人の一生があったのかと、思いは遠く漂っていきます。一方で、こちらの寺院は現在も「現役の」お寺として機能しており、敷地には現代の墓地もあります。立派な墓石が並ぶ墓地と、無縁仏が身を寄せあう西院の河原・・ と、その対比にはちょっと複雑な思いもします。境内にはほかにも、本尊の阿弥陀如来を祭る本堂、竹林と六面六体地蔵尊、さらにインド風の仏舎利塔などいろいろなものがあります。単に昔を偲ぶだけの場所ではないのですね。なお西院の河原内は写真撮影禁止なのでご注意ください。
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、京都市右京区嵯峨鳥居本化野町にある浄土宗の寺院です。本尊は阿弥陀如来です。化野(あだしの)は東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野(れんだいの)、並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地として知られいます。嵯峨釈迦堂に遺体が運ばれ、小野篁が祀る薬師堂で非人に預け、親族はここで最後の別れになります。その後化野の山に風葬されます。伝承によれば弘仁2年(811年)、空海が当地に野ざらしになっていた遺骸を埋葬して供養のために千体の石仏を埋め、五智如来の石仏を建てて五智山如来寺を建立したのに始まるとされるます。その後、法然が念仏道場を開き、名称も念仏寺となったといいます。その後、明治30年代に宗教奉仕団体、福田海(ふくでんかい)の開祖である中山通幽(なかやまつうゆう)師が、埋没していた無縁仏を掘り出し集めました。そしてそれらは釈尊宝塔説法を聴く人々の姿になぞらえて配列、安祀されました。その数は約八千体で、石仏と共に発掘される壺や古銭の時代考証によると平安から、鎌倉、室町、江戸の各時代に及ぶ事がわかりました。丸い形をした仏舎利塔は納骨堂です。外観はサーンチーのストゥーパと言われてます。1969年(昭和44年)建立されています。インド中部マディヤ・プラデーシュ州ラーイセーン県にあるサーンチーの仏教建築物群(世界遺産)の塔を模しています。この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は地蔵盆の夕刻より行われています。アクセスは、「清滝行」京都バスを「鳥居本」バス停で下車、徒歩5分。「愛宕寺前」下車後嵯峨鳥居本の重要伝統的建造物群保存地区を通る旧街道経由で10分。
名前 |
あだし野念仏寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-861-2221 |
住所 |
〒616-8436 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17番地 |
HP | |
評価 |
4.3 |
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阪急嵐山から出る京都バス(92系統)で向かうのが一番良いと思います。