古代豪族の名残、巨勢寺の魅力。
巨勢寺塔跡の特徴
巨勢寺は天武天皇の時代に記録が残る歴史ある場所です。
現存する塔跡や塔心礎からその規模が推測されています。
古代豪族巨勢氏の氏寺としての名残があります。
近鉄吉野線とJR和歌山線に挟まれる形で畑の中にあり、塔跡と大日堂があるのみです。
ここは御所市古瀬、字が変わっても巨勢氏の名残が残り嬉しい。近鉄とJRの電車同時に来ないか待ったけどダメだった、馬鹿だね⁉お堂の祠の土台の石は礎石を転用しているなあ。ウムウム🎵
古代豪族巨勢氏の氏寺。以下、解説板より「巨勢寺は、子院・阿吽寺の縁起によれば、聖徳太子の創建と伝えられています。~<中略>~日本書紀に686年に初めて巨勢寺の名が見られ、当時の寺院としてはかなり大規模であったと思われます。」
線路を超えなくてもJRと近鉄の間、巨勢寺塔跡の東のL字路から行けます。青い案内看板 ↑ も出ています。私がUPした写真かストリートビューを見てください。遠回りになっても安全優先でお願いします。
御所市古瀬の曾我川西岸で、JR和歌山線と近鉄吉野線の間に挟まれています。飛鳥時代から平安時代前期まで栄えた古代寺院「巨勢寺」の塔跡だけが残っていて、塔の柱を支えた大きな礎石が、綺麗に残っています。祠もあり、国指定史跡になっています。
名前 |
巨勢寺塔跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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巨勢寺は、天武天皇朱鳥元年八月の条に「巨勢寺封二百戸」とあるのが最初の記録であり、現存する塔跡や複雑な加工を施した塔心礎などの多数の礎石の存在から、かなり大規模な寺であったことが推測されていた。塔跡部分は昭和2年に国の史跡に指定されている。昭和62年(1987年)から翌年にかけて、国道309号線バイパス工事に伴い発掘調査と範囲確認調査が行われ、講堂・回廊・築地などが検出された。また、多量の瓦および土器・三彩などが出土した。この調査により、白鳳期に創建され奈良・平安と存在し、平安時代に焼失したこと、法隆寺式の伽藍配置と考えられること、寺域は南北50メートル、東西100メートル程度と推定できることなどがわかった。このほか、寺に関わる遺構としては創建時の瓦を焼いた登窯2基、平安時代の梵鐘鋳造遺構などが検出されている。いにしえの御所を尋ねて御所市教育委員会より。