富部神社で戸部城の歴史を感じる。
戸部城石碑の特徴
富部神社の鳥居をくぐってすぐの立地にあります。
歴史的な価値を感じられる跡地です。
周辺は静かな環境で落ち着けます。
2016年4月にこちらに移設2023年1月上旬に富部神社参拝の際、寄りました。かつてこちらの神社の南側にあったお城の碑→桶狭間合戦の4年前、1556年に城主が織田信長の策略にはまり亡くなり、以後廃城に→お城の痕跡は区画整理もあり留めていないそうです。勉強になりました。
戸部城趾石碑を探して戸部町3丁目~4丁目辺りを歩きましたがありませんでした☀️富部神社境内に石碑を移転したんですね‼️ 尾張の織田氏と駿河の今川氏が敵対していた戦国時代🏯戸部城の城主の戸部新左衛門は今川義元の忠実な家臣で武勇に優れ、最前線で善戦していました。手を焼いた織田信長は何とか新左衛門を亡き者にしようと画策し、新左衛門の筆跡を家来に真似させ、信長に内通している旨の偽書を信じた義元は烈火の如く怒り、新左衛門を呼び寄せ、途中吉田(現在の豊橋)で有無を言わさず切腹を命じたのです。弘治3年(1557年)5月1日新左衛門は無念にも非業の死を遂げました。今川義元が桶狭間の戦いに没した3年前の事で、この謀略が無ければ義元の上洛があり得たかもしれないと言われています。平成18年新左衛門公没後450周年慰霊祭が営まれ、この霊位は平成28年戸部町3丁目からここ富部神社境内に移築されました。
歴史ある跡地。
戸部城跡ではありません戸部城はこの場所から南南西500mほどの場所にありましたが、埋立と削平により完全に消滅してしまっています往時は3方を海に囲まれ、もう一方は池という難攻不落の城だったそうです区画整理に伴い城跡から石碑類が移され、現在は富部神社境内に再移転しました。
| 名前 |
戸部城石碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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富部神社の鳥居をくぐったすぐ右側にあります。