江戸から五里目 歴史を感じる一里塚。
市場一里塚の特徴
江戸から5里目に位置する東海道の一里塚です。
徳川幕府による街道整備の名残が感じられます。
旧東海道沿いにあり、歴史を体感できるスポットです。
旧東海道沿いにある一里塚です。日本橋から五つ目の塚だそうです。ということは20kmということで、江戸時代はもう少し頑張って神奈川宿で一泊するのが一般的だったのでしょうか♪
江戸から5里目の東海道一里塚で、横浜市内では最初。一応、現存一里塚らしい。がっちり四方が土留されているし、方形で上にお稲荷さんがいて、あまり現存一里塚感はない。因みに市場というから、近くに市場でもあるのかなと思ったが、実際は昔から市場という名前の地域らしい。
日本橋から五里目の塚。石碑と説明看板とお社様があります。通りを歩いていればすぐに見つけられるでしょう。
江戸から5里目に造られた一里塚で、片側のみ残っています。江戸時代とは違い、現在では一里塚上には稲荷神社が祀られています。
旅人の目印の一里塚。江戸時代の原型を留めて居るのは数基ですね。
旧東海道を歩いて発見。歴史を感じます。
慶長9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。里程の目標と人馬の休憩のための目安として、江戸日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に五間四方(9m四方)の塚を築造し、の上には榎を植えました。ここは江戸より五里目の塚に当たり、市内で最初の一里塚です。明治9年(1877)地租改正にあたり払い下げられ、左側の塚が現存しています。昭和初期まで塚の上には榎の大木が繁茂していました。現在は、公園に隣接していて整備され昔の姿とはかなり違います。昭和8年(1933)6月「武州橘樹郡市場村一里塚(添田担書)の碑が建立され、平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録されました。
旧東海道春あゆむ一里塚。
横浜には往時の一里塚が現存しているという話を聞いたことがありますが、これは違いますね。一里(約4キロ)ごとに築かれていったもので、九メートル四方に土を盛った塚に松や榎を植えたそうで、木を植えたのは木陰をつくるためで、風除けや雨よけ、そして日射しよけのためだと言われています。しかし、江戸時代の庶民は簡単に旅などできなかったし、一里塚の近くに茶屋や宿場町ができるようになると、一里塚は見向きもされずに放置され、荒れ果てていったそうです。宿場町というと、娯楽時代劇では旅籠がある町として描かれてましたが、公設の貨物ターミナルのことで、人足や荷馬車が常備されていたらしく、人足たちが寝泊まりして働く場所だから宿場町と呼んだそうです。
名前 |
市場一里塚 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
045-510-1818 |
住所 |
|
HP |
http://www.city.yokohama.lg.jp/bunka/outline/miryoku/michisanpo/tsurumi.html |
評価 |
3.3 |
周辺のオススメ

慶長9年 (1604)徳川幕府は、江戸 から京都までの街道を 整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。それが、東海道です。里程の目標と、人と馬の休憩のための目安として、 江戸日本橋 から一里 (約4キロ) ごとに街道の両側に9m四方の塚を造り、 塚の上には榎を植えました。ここは江戸より五里、5つめの塚に当たり、横浜市内で最初の一里塚 です。昭和初期まで嫁の上には榎の大木がありました。今は稲荷神社が建立しています。