七里の渡し近く、 丹羽家の格式。
丹羽家住宅の特徴
丹羽家住宅は、名古屋市指定文化財として文化的価値が高いです。
かつては熱田宿の脇本陣で、格式のある旅籠でした。
七里の渡し跡の近隣に位置し、歴史的な観光スポットです。
かつて七里の渡しの北側から東に向かった場所には東海道41番目の宿場である宮宿がありました。美濃路や佐屋街道など脇街道の起点でもあった宮宿は東海道最大の宿場町だったため、数多くの文献や絵地図、そして錦絵に賑わっていた様子が描かれています。しかし明治期に入ると東海道が現在の弥富市前ケ須まで延伸されたことで七里の渡しは廃止され、さらに鉄道駅が開かれた熱田神宮東側に地域の中心が移ったことで宮宿は徐々に衰退していきます。そして戦時中には熱田空襲で甚大な被害を受け、とどめに国道1号や国道247号など大きな幹線道路の開通や拡幅によってバラバラに寸断されてしまいました。こうして時代が下るごとに宮宿は都市の町並みの中に埋没していき、現在ではかつての面影は殆ど残っていません。七里の渡しの船着き場跡に面して建つこの旧旅籠屋 伊勢久は、繁栄していた往時の宮宿を偲ばせる数少ない建造物の一つです。文化5年の棟札が残る脇本陣格の建造物で、創建時から間取りなどが大きく改変されたようですが、現存する貴重な江戸期の高級旅籠建築であることから、名古屋市有形文化財に指定されています。令和6年7月現在、老朽化の修理と創建時の姿に復元するための改修工事が終わりつつあり、本年度中に完成する予定です。この修理にはひつまぶしで有名な蓬莱軒が大きく関わっていて、維持に困っていた所有者に替わり伊勢久を今後も保存するために新たな所有者に名乗りを上げたそうで、いずれ改修された伊勢久で飲食事業を行う予定だそうです。容赦なく押し寄せる都市化や激しい空襲に晒された土地にありながら、約200年前の建造物が現在まで残っているのは奇跡的と言えるかもしれません。
現在解体修理中でした馬《●▲●》助ヒヒーン♪
かつては熱田宿の脇本陣であったというからかなり高級な旅籠やったんやろな破風づくりの玄関なんかにその格式の高さがうかがえますだけど内部は非公開ーこれじゃ市井の人や一般の観光客からしたらただの古い家やん名古屋市もこうゆう観光資源を眠らせてたらアカンと思うけどなー。
七里の渡し跡のすぐ近くに丹羽家住宅はある。丹羽家は幕末の頃、脇本陣格の旅籠で、伊勢久と称し、西国各大名の藩名入りの提灯箱が残されている。正面の破風付玄関は、かつての格式の高さを残している。1841年(天保十二年)の「尾張名所図会・七里渡船着」には丹羽家住宅と思われる旅籠が描かれている。名古屋市有形文化財に指定されている。
伊勢久という宮の宿の脇本陣クラスの高級旅籠だったらしいですね。
丹羽家は、幕末の頃、脇本陣格の旅籠屋だった「伊勢久」さんだそうです。七里の渡し(宮の渡し公園)の道を挟んだ北側に、当時の建物が残されています。天保12年(1841)森高雅画の「尾張名所図会・七里渡船着」にこちらの建物と思われる破風付玄関の建物が描かれています。文化財に指定されたようです。保存のご苦労はいかばかりかと思います。本当に残していただいて、ありがとうございます。
名古屋市指定文化財。元は東海道熱田宿の旅籠屋で、江戸時代の「尾張名所図会」にも描かれています。ブラタモリでタモさんが「よくぞ残してくれた」と喜んだ建物です。
そうは言っていただきましたけど、残すの大変なんですよ。【追記】でも、きちんと保存してくれる方が見つかりました。もう少しで、手元を離れます。というか、50数年住み慣れた我が家を離れます。惜別の情は、お察しください。
| 名前 |
丹羽家住宅 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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丹羽家住宅幕末に 宮宿で脇本陣格の旅籠でした。建築時期は不明 (1808年頃と推定されている)。1841年の尾張名所図会•七里渡船着に 丹羽家住宅が描かれている。名古屋は 太平洋戦争の空襲で徹底的に燃やされたので、よく残ったと思います。1984年に 名古屋市の有形文化財に指定されました。位置としては、東海道五十三次 七里の渡し跡のほぼ正面(向かい側)になります。耐震の関係もあったのでしょうか 2023年に解体修理されました。修理前の画像と比較すると、伝統建築のプロの手が加わったのでしょう、前よりも今の方が 江戸時代のような よい雰囲気の見た目になったようです(解体修理前は サッシ戸だった)。