著書『巴里(パリ)の美術学生』で、西欧の近代美術を...
名前 |
近代美術の先覚者 岩村透の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://blog.goo.ne.jp/tanbo_jyunrei/e/c7ec2f586fe1cfbadc3c60990d7cbee9 |
評価 |
5.0 |
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岩村透氏は近代美術の開拓者とも呼ばれる方で、その現在の東京芸術大学の教授でもありますが、著書『巴里(パリ)の美術学生』で、西欧の近代美術を日本に紹介した人でもあります。四十八歳という若さで、大正六(1917)年に亡くなられた折には、早すぎる死を惜しみ、多くの追悼行事が行われたそうです。岩村透氏の墓は本瑞寺の山門から本堂に向かって左側、鐘楼の先きに「岩村透先生之墓」と刻された立派なお墓ですが、山門から本堂に向かって右側には、朝倉文夫作の胸像もあります。その胸像を柱のような台石の正面に草書体で「一念之誠可動天地」と刻まれております。「一念の誠(まこと)天地をも動かすべし」という意味とのことです。「遠い南欧に行かずともすぐ近所に伊太利」があると三崎を愛した美術評論家のお墓は三崎の街並みに望むお寺にありました。