大塚山で体験する不思議な散歩。
道了堂跡の特徴
八王子側から始まる明治時代の絹道の起点です。
150段の階段がふくらはぎに効果的な負荷を与えます。
鬱蒼とした木々に囲まれた不思議な空間が広がっています。
①(2014年6月30日)~⑱(2019年8月1日)2014年7月28日(10時05分~10時06分):首の真新しい地蔵、散歩2014年8月1日(9時53分~9時54分):首の真新しい地蔵、散歩2014年10月17日(9時18分~9時20分):首の真新しい地蔵、散歩2014年11月17分(10時05分~10時06分):首の真新しい地蔵、散歩2014年11月21日(9時09分~9時11分):首の真新しい地蔵、散歩2015年1月2分(8時23分~8時24分):首の真新しい地蔵、散歩2015年1月5日(7時55分~7時57分):首の真新しい地蔵、散歩2015年2月16日(10時19分~10時20分):首の真新しい地蔵、散歩2015.7.10(9:21~9:24):首の真新しい地蔵,ベンチ、散歩2016.8.19(9:25~9:30):首の真新しい地蔵,べンチ、散歩2016年12月2日(10時15分~10時19分):首の真新しい地蔵、散歩2017年1月24日(10時22分~10時26分):首の真新しい地蔵、散歩2019年8月1日(7時47分~7時52分):首の真新しい地蔵、散歩。
心霊スポットと聞きまして不謹慎ながらも23時過ぎに訪れました。近くに駐車場が無く(夜中だから分からなかっただけかも?)近くの予約式駐車場を利用しました。近くとはいえ、徒歩10〜15分程かかり、住宅街を抜けると街灯が殆ど無くなるのでライトは必須です。肝心の道了堂跡ですが、特に怖いと言った雰囲気は無く、上に祠?とお地蔵さんがいらっしゃり、奥からは夜景が見えました。とても綺麗で心霊スポットと言うよりは夜景スポットとでも言えるでしょうか。一度は訪れてみて欲しいです。
ハイキングにちょうど良い、大塚山の山頂です。三角点もあります。ベンチも5〜6ありますので、お弁当など食べたりもできます。
絹の道をトレランするついでに寄りました。心霊スポットと聞いていたので、核心部分は避けて、周囲をランニングしていたら、結構良い眺めを見ることが出来、良かったです。
道中に150段くらいの階段があるんだが結構ふくらはぎに負荷がかかったわ。しかし登り切ったらそこはとても絶景スポットなのです、とてものどかな感じで疲れもすっ飛んだわ。そしてあとから知ったんだけどここって心霊スポットだったんだね、それもかなり有名な👻心霊スポット好きな俺がこの場所を知らなかったとはまだまだ勉強不足だわ、無念…(`A`)
この近くの美術大学に当時通っており、近代的な建物を画角から外しやすいので時代劇的な映像制作の撮影などで使っていました。のどかで周辺住民の方々も親切です。時たま撮影中音声が途切れることやそもそも映像が残っていないことがあったり、キーーンと耳鳴りのような音のみ録音されて映像の色味がおかしくなることが多発したため後々調べたら心霊スポットでした。とくに体調不良とかはありませんでしたが、獣道の様な農道?を上がったところにある農作業道具の置き場の様なところで特におかしな事が多くあったので怖なーと思ってました。
以前来たときは、ここがどうゆう所かよく分からなかったけど、かつては絹商人で賑わっていた場所だったということです。2023/11/4初訪問。202/10/27
八王子~横浜へ続く明治時代に絹糸を運んだ絹の道の八王子側の現存する起点となる広場です。昔はお堂が建っていましたが台風で倒壊し、今は土台しか残っていません。非常に見晴らしがよく八王子を一望することが出来、バス停からも近いので高尾山を登る体力が無い人にはいいハイキングポイントだと思います。このお堂を起点として始まる、(坂上バス停)~道了堂~絹の道~絹の道資料館~柚木街道~柚木西小学校~中山小学校~白山神社参道~白山神社~(白山神社バス停)というお手軽な1~2時間のハイキングコースも有名です。
鬱蒼とした木々に囲まれた不思議な空間です。訪問時には誰も居なかったので、余計に静謐な雰囲気ですね。建物の類いは遺っていません。いくつかの石碑と仏像が散見されるだけです。木に囲まれていますが高台なのか、風の通りは良いようです。
| 名前 |
道了堂跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/monogatari/p026935.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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大塚山の山頂部にある建造物跡です。どのようなお堂があったのか分かりませんのでコメントのしようもないのですが、何やら歴史的に意味があるものであったのだろうということは分かります。地元の自治体や保存団体がこちらを大切にするなら、せめて解説板が欲しいです。