武田勝頼築城ゆかりの新府城跡。
新府城跡の特徴
新府城は八ヶ岳の美しい景色が楽しめる歴史的な名所です。
釜無川の河岸に佇む、壮大な断崖の上に位置しています。
夕暮れの時間帯に訪れると、特別な雰囲気を味わえます。
入り口は石段で頂上まで登るのも降りるのもとても大変でした。お城好きな方には地形を活かした造りで興味深く見れると思います。新府駅から歩いていけます。
武田勝頼が築いた新府城跡地。桜が満開で一番いい時期の訪問でした。しかし神社へと続く石段はキツイです。
遺構がしっかり残っており、堀が壮大で美しかったです。武田氏の城が好きな方はぜひ訪れて見てください!
山梨でも指折りの心霊スポットと聞きましたが、とても急な階段は鬱蒼としていて少し気味の悪さも感じました。ですが、頂上の絶景を見ると全てを忘れられるような気がしました。
信玄没後、武田勝頼によって天正12年に築かれた城跡戦国の城らしく政務を行う為の城では無く防衛の為の要害城です見学ルートは主に二つと思います一つは正面入口から石段か乙女坂と言う参道を登って天守閣跡へ至るルートこちらは手っ取り早く城の心臓部を見学するルートです一気に最上部へ登るので、石段の長さにかなり絶望感がありますもう一つは正面入口の左横にある入口から大手門跡などを見学しつつ、当時と同じ道で天守閣跡へ至るルート大手門跡はキレイに整備されて富士山も良く見えるのでオススメですが、時間はそれなりにかかります車は入口から200〜300メートル離れた場所に専用駐車場があります入口のすぐ側に車数台止められる路肩がありますが、ここは駐車場では無いので止めるなら自己責任になります。
階段にも落葉が積まれ、静かな城跡でした。サクッと一回りできます、トイレは天守後にあります。個人的には武田家の滅亡の雰囲気が出てると2025/11
わかりやすく新府城の歴史と感想を●歴史●・1581年武田勝頼により築城長篠の戦い(1575年)での大敗後新たな本拠地として体制を立て直すため織田・徳川連合軍の甲斐侵攻が迫るなかそれまでの躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)より更に強固な防衛拠点を築いた・1982年武田勝頼が自ら火をつけ廃城(織田・徳川連合軍に新府城を拠点として利用させないため)織田・徳川連合軍の侵攻(甲州征伐)により追い詰められて城を放棄した築城からわずか68日の出来事その後は徳川家康が天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)にて北条氏と対峙する際、本陣として使用した後に再び廃城●感想●連合軍に攻められたとき城は未完成だったとそれに長篠の戦いで武田軍は多くの家臣や兵力を失ったので軍事力が大幅に下がってましたその上当時の織田・徳川連合軍は猛省でしたから、全く歯が立たないと判断し退却したんですね城から逃れて岩殿城(城主は小山田信茂)を目指したものの裏切られ、最期は天目山(現在の大月市)で自害(滅亡)したとなんとも哀しき歴史あり駐車場へ向かう道中、神社への石段と石垣がチラッと見えてテンションが上がる城跡への入口はまた別にあって銀色のポールが柵になっているところから神社…石段は結構キツいが社殿は360度どこからでも拝観できるので満足度は高い城跡…馬出と堀は当時の面影が確かに残ってて想像しやすかった名称的にも三日月堀が一番よかったです。
続日本百名城ですスタンプは韮崎市民俗資料館の入口にあります、入口で埴輪が歓迎してくれます資料館から2km程で新府城跡入口があり、そこに駐車、徒歩で10分位で無人の山頂です途中に富士山が綺麗なところもあります他に神社の参道から登ることも出来ますよ。
🏣山梨県韮崎市中田町🅿️🚗…有ります🚃…新府城駅下車徒歩15分程(1時間に1本程)※城郭構造…連郭式平山城築城年…1582年(廃城年1590年)築城主…竹田勝頼遺構…土塁.堀※1973年国の史跡にしてされる。本丸跡地には藤武稲荷神社が建立されている(保存のため公有地化されている)※石垣は使わない平山城、本曲輪.二の曲輪.東の曲輪.西の曲輪.帯曲輪などにより構成され、丸馬だし.三日月堀.枡形虎口等の防御施設を持つ。※近年の発掘調査により特徴的な鉄砲出構や他の土塁や堀跡、井戸、排水施設等の遺構が確認できたそうで、陶器類も出土。※使用された期間は短いが、周辺の自然地形全体が軍事的意味を持った事を考慮すれば非常に大規模な城で有り、竹田家を代表する甲州流築城術の集大成となる城だそうです。※2017年4月6日「続日本100名城」127番に選定される。※登って行き石垣が無く、土塁の多さが目に付きましたが、返り(下ると)には堀.曲輪や丸馬出し等を発見しながら土塁の城跡を堪能致しました(雨が降りますと石段は危なく思います)乙女坂が良いのでは(途中から石段と合流でした)
| 名前 |
新府城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0551-22-1111 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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新府城跡は、戦国武将 武田勝頼 が1581年(天正9年)に築いた武田氏最後の居城跡です。七里岩台地の断崖を利用した天然の要害に築かれ、本丸を中心に大規模な曲輪群、深い堀、丸馬出などを備えた堅固な城郭でした。しかし、翌1582年、織田・徳川連合軍の侵攻により、勝頼は城の完成を待たずして退去し、自ら火を放ってわずか数か月で廃城となりました。城跡には現在も、武田流築城術の特徴である丸馬出、三日月堀、土塁などの遺構が良好に残り、戦国末期の城郭技術を間近に見ることができます。その規模と保存状態の高さから、2017年には 続日本100名城 に選定されました。武田氏滅亡後も、新府城は甲斐・信濃支配の要衝として注目されました。天正壬午の乱では、後に上田城を築く 真田昌幸 がこの地の争奪戦に深く関わり、徳川氏・北条氏との駆け引きを展開しました。新府城をめぐる攻防は、昌幸が独立した戦国大名として頭角を現す契機の一つとなり、戦国史の転換点としても重要です。現在は城跡公園として整備され、本丸跡からは甲府盆地や南アルプスを一望できます。武田氏終焉の舞台であるとともに、真田昌幸ら戦国武将が覇権を争った歴史の現場として、多くの歴史ファン・城郭ファンが訪れる名城跡です。