新府城跡で歴史を歩く。
新府城跡の特徴
新府城は八ヶ岳の美しい景色が楽しめる歴史的な名所です。
釜無川の河岸に佇む、壮大な断崖の上に位置しています。
夕暮れの時間帯に訪れると、特別な雰囲気を味わえます。
信玄没後、武田勝頼によって天正12年に築かれた城跡戦国の城らしく政務を行う為の城では無く防衛の為の要害城です見学ルートは主に二つと思います一つは正面入口から石段か乙女坂と言う参道を登って天守閣跡へ至るルートこちらは手っ取り早く城の心臓部を見学するルートです一気に最上部へ登るので、石段の長さにかなり絶望感がありますもう一つは正面入口の左横にある入口から大手門跡などを見学しつつ、当時と同じ道で天守閣跡へ至るルート大手門跡はキレイに整備されて富士山も良く見えるのでオススメですが、時間はそれなりにかかります車は入口から200〜300メートル離れた場所に専用駐車場があります入口のすぐ側に車数台止められる路肩がありますが、ここは駐車場では無いので止めるなら自己責任になります。
階段にも落葉が積まれ、静かな城跡でした。サクッと一回りできます、トイレは天守後にあります。個人的には武田家の滅亡の雰囲気が出てると2025/11
わかりやすく新府城の歴史と感想を●歴史●・1581年武田勝頼により築城長篠の戦い(1575年)での大敗後新たな本拠地として体制を立て直すため織田・徳川連合軍の甲斐侵攻が迫るなかそれまでの躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)より更に強固な防衛拠点を築いた・1982年武田勝頼が自ら火をつけ廃城(織田・徳川連合軍に新府城を拠点として利用させないため)織田・徳川連合軍の侵攻(甲州征伐)により追い詰められて城を放棄した築城からわずか68日の出来事その後は徳川家康が天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)にて北条氏と対峙する際、本陣として使用した後に再び廃城●感想●連合軍に攻められたとき城は未完成だったとそれに長篠の戦いで武田軍は多くの家臣や兵力を失ったので軍事力が大幅に下がってましたその上当時の織田・徳川連合軍は猛省でしたから、全く歯が立たないと判断し退却したんですね城から逃れて岩殿城(城主は小山田信茂)を目指したものの裏切られ、最期は天目山(現在の大月市)で自害(滅亡)したとなんとも哀しき歴史あり駐車場へ向かう道中、神社への石段と石垣がチラッと見えてテンションが上がる城跡への入口はまた別にあって銀色のポールが柵になっているところから神社…石段は結構キツいが社殿は360度どこからでも拝観できるので満足度は高い城跡…馬出と堀は当時の面影が確かに残ってて想像しやすかった名称的にも三日月堀が一番よかったです。
続日本百名城ですスタンプは韮崎市民俗資料館の入口にあります、入口で埴輪が歓迎してくれます資料館から2km程で新府城跡入口があり、そこに駐車、徒歩で10分位で無人の山頂です途中に富士山が綺麗なところもあります他に神社の参道から登ることも出来ますよ。
🏣山梨県韮崎市中田町🅿️🚗…有ります🚃…新府城駅下車徒歩15分程(1時間に1本程)※城郭構造…連郭式平山城築城年…1582年(廃城年1590年)築城主…竹田勝頼遺構…土塁.堀※1973年国の史跡にしてされる。本丸跡地には藤武稲荷神社が建立されている(保存のため公有地化されている)※石垣は使わない平山城、本曲輪.二の曲輪.東の曲輪.西の曲輪.帯曲輪などにより構成され、丸馬だし.三日月堀.枡形虎口等の防御施設を持つ。※近年の発掘調査により特徴的な鉄砲出構や他の土塁や堀跡、井戸、排水施設等の遺構が確認できたそうで、陶器類も出土。※使用された期間は短いが、周辺の自然地形全体が軍事的意味を持った事を考慮すれば非常に大規模な城で有り、竹田家を代表する甲州流築城術の集大成となる城だそうです。※2017年4月6日「続日本100名城」127番に選定される。※登って行き石垣が無く、土塁の多さが目に付きましたが、返り(下ると)には堀.曲輪や丸馬出し等を発見しながら土塁の城跡を堪能致しました(雨が降りますと石段は危なく思います)乙女坂が良いのでは(途中から石段と合流でした)
2025.7.25に訪れました。武田勝頼公の命により、築城の名人真田昌幸公が築きました。防御に優れた難攻不落のお城…だったはずですが、防衛のための兵士の数が足りておらず、勝頼公はやむなく、城に火を放ち落ち延びられたとのことのようです。結果論ですが、この後の小山田信茂殿の裏切りや天目山の戦いを考えたら、子息信勝公の進言通り、新府城での戦いを選んだほうが裏切りも少なく、かつ武田氏の有終の美を飾れたのではないでしょうか。歴史にIFはありませんが。城趾周辺に駐車場はあまりありません。登城時、一部歩道がない車道脇を歩くので、走行する車に注意が必要です。城内の手入れはされていますが、結構草が生い茂っているところもあり、半ズボンで行ったため、草負けと虫刺されにあいました。
武田勝頼築城。七里岩台地という西側が岩場の断崖絶壁の台地上に築城された未完の城跡です。後の天正壬午の乱時には徳川勢の本陣となり手は加えられているとはいえ近年の発掘調査や城跡整備により甲州流築城術の特徴的な縄張り、三日月堀に丸馬出と空堀ストや土塁ファンクラブにはたまらない遺構も発掘調査後に再現されているのも嬉しいです。茨城から三重への城巡りの旅の帰路で寄った最後の城跡でしたが一番感動しました♪遺構を巡っても2時間もかからない攻城でしたが、駐車場から「新府城跡」の看板を目指すとちょっと道路が危ないです。効率良く回るなら駐車場から道路を跨ぎ、東側出構もしくは西側出構から登城、時計回りに回り急階段の参道をスルー。東三の丸→大手→西三の丸→二の丸→本丸→二の丸→井戸跡→馬出→搦手と回ると出構の前に出て一周です。搦手にも駐車場がありますが、公式では無さそうなのと前の畑への農道は狭く農家の方も頻繁に通るので自販機のある公式駐車場を利用しましょう。トイレは利用しませんでしたが、本丸にありました。韮崎市のサイトでは4月くらいまで利用出来ないそうです。トイレは済ませて登城しましょう♪遺構の発掘調査、保存に感謝致します。
夕暮れ時に到着。勝頼の哀愁秘話を思い出し、背中に寒い物が…さておき、シートが被った発掘調査中箇所があるので、何か新発見を楽しみに再訪します。
2024年8月3日、炎天下の中、登城した。下の駐車場からは、徒歩3分ほどで登城口の入り口まで来られる。そこから徒歩10分ほどで行き着く。石段が整備されており、数えると230段ぐらいあった。真夏でもなんとかなる高さ。駐車場からは、かなりの通行量のある道を歩くコースがあるが、車で危ない。駐車場から裏道があるので、そちらが無難だと思った。
| 名前 |
新府城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0551-22-1111 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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山梨でも指折りの心霊スポットと聞きましたが、とても急な階段は鬱蒼としていて少し気味の悪さも感じました。ですが、頂上の絶景を見ると全てを忘れられるような気がしました。