綱下げ松と白蛇様の伝説。
松壽弁財天の特徴
綱下げ松の伝説が息づく神社で、歴史の深さを感じられます。
久地駅からの道に湧水の御霊泉があり、参拝の途中で癒されます。
300年の時を超える稲毛三郎と豊臣秀吉の伝承が受け継がれています。
久地駅側から霊園に入るにはこの弁天様の横の階段を登るほかない。全部で200段の階段を上ると右側にこの弁天神社がある。口コミを読んで由緒正しい神社だと知ったのだがとても小さい神社である。ココで特筆したいのは階段を登って左に折れて少々歩くと人気の無い広場に出る。奥に足を踏み入れて素敵な銀杏(いちょう)の木に出会った。いちょうの木の脇には黄色い絨毯に覆われた冬の散歩道、人影はみえず晩秋の空気をひとりじめ。ボーッと過ごしたい素晴らしい場所である。
古きある弁財天様でした。
この地に住んで26年…今日は弁財天様の日だと知り、検索し初めて訪れました霊園と公園の中にひっそりと…本当にひっそりと佇んでいてビックリしました地元の方がキチンと護ってくださっているのだなぁ…と感じました。
綺麗に整備されています。
生きた時代が300年も違う稲毛三郎と豊臣秀吉の同じ内容の伝承が残っている。江戸時代の白蛇伝説も然り。長い年月を得て混合したのだろうか。ともかく、昔はこの崖下に多摩川の流路があり多摩川を渡るための要所だったことを想像させてくれる史跡である。
お守りいただいてます。
松寿弁財天(綱下げ松)数々の伝説がある「綱下げ松」の神社。 文政5年(1822)6月12日、大雨で多摩川大洪水となり、宿河原村の家や畑は流されてしまう。崖下に流された村人は、松の木から降りてきた白い反物にすがって丘の上へ避難できた。しかし欲深い人が白い反物を持ち逃げしようとしたところ白い蛇に変化した。その後、助かった村人達は松の木の下に弁天様(白蛇様)を祭った。江戸時代には名所となり大いに賑わうが、近隣百姓が田畑を潰して参詣客目当ての茶店や芝居小屋を建て、風紀が乱れたため取り締まりとなり一旦終息。明治期には参詣すると良い仕事が入るというウワサが流れ、再び評判になった。
江戸時代は超人気のスポットだったようですが現在は墓地と公園の間のひっそりとした場所にあり訪れる人は多くはなさそうです。多摩区観光協会の解説です⇒「その昔、津田山の山腹に老松があった。稲毛三郎重成、豊臣秀吉らの武将がこの松に綱をかけて戦陣を進めたことから「綱下げ松」とその名前がついたとか。この松には白蛇の伝承があり、松の下に松寿弁財天の祠をたてたが、これが霊験あらたかと評判になり、天保の頃、たくさんの参詣人で賑わったという。(蛇は弁財天のお使いとされている)」
賽銭泥棒が多いと看板に書いてあった。
| 名前 |
松壽弁財天 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒214-0021 神奈川県川崎市多摩区宿河原6丁目47−28 |
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昔、津田山の山腹に老松があった。この松に稲毛三郎重成や豊臣秀吉ら武将がその松に綱をかけて戦陣を進めたと言います。その事から『下げ綱の松』と言われています。その松には白蛇伝承があり、そこに祠を立てたのが始まりと言います。