鎌倉時代の野本氏館跡。
野本館跡の特徴
野本将軍塚古墳の北側に位置しています。
鎌倉時代の歴史を感じる陣屋の跡地です。
野本基員が祖となる野本氏の館跡が残っています。
野本将軍塚古墳の北側にあります。車で行かれる際には野本市民活動センターの駐車場に駐めることができます。
鎌倉時代の野本氏の陣屋である。現在の野本小学校と無量寿寺を合わせた規模と考えられている。無量寿寺の北側には土塁の一部が現存している。東側には小川が流れ、天然の水堀となっていた。南側には将軍塚と新江川があり防御を固め易い地形となっている。東松山市指定遺跡。
2021/6/5お寺本堂の裏に建物を取り巻くような土塁の残欠がある。またお墓の中の高台も土塁の残欠かも。また野本将軍塚は神社にいたるところがなんとなく切岸加工されているようにも見える。
野本基員を祖とする野本氏の館跡です。現在は無量寿寺の境内地となっています。寺の駐車場あり。
野本氏の館跡です。寺の北側に土塁が残っています。
将軍塚古墳の周りを散策しているうちに、偶然立ち寄りました。現地はお寺になっており、北側に土塁と殆ど埋まった堀が見て取れます。普段はこちらで良いのでしょうが、直近に将軍塚古墳があり、こちらの方が陣を張るには向いてそうな気がします。
| 名前 |
野本館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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野本館跡は鎌倉時代(1185年から1333年)に活躍した野本氏の館跡です。 野本氏は片田元親の子・基員が、自らの先祖である平安時代の武将・藤原利仁ゆかりの地である野本の地名から姓を取って名乗ったのが始まりとされています 館は現在の野本小学校(下野本)一帯と考えられ、無量寿寺の裏手には土塁の一部が残されています。 また基員の養子・基時は現在の押垂に居住して押垂氏を名乗り、建暦3年(1213年)の和田合戦や承久3年(1221年)の承久の乱における宇治川の戦いなどで戦功があったことが伝わっています。無量寿寺駐車場内に案内板が設定されています。入口には「野本館跡」標柱もあります。無量寿寺の北側には土塁が残っています。