急勾配を下り、静寂の宇佐神社。
尾山台宇佐神社の特徴
康平5年に創建された歴史ある宇佐神社を訪れました。
八幡塚古墳の中腹に鎮座し、静かな環境に包まれています。
御朱印を頂ける神社で、丁寧な対応が印象的でした。
急勾配な寮の坂下にある神社。整備され過ぎていないカンジの荒涼さというか質素さというか⋯それ故の味あり。
関東地方のみならず、東日本では非常に希少な宇佐神社があります。さらに、神職常駐の宇佐神社は管見ですが、おそらく関東以北ではここだけじゃないかと思います。実は多摩川を挟んだ対岸の川崎市にも、猫の額ほどの場所にそちらは八幡宮としてあるにはあるのですけど、よりによってなんでこんなところにポツンと宇佐さまが鎮座しているのか興味深い町でもあります。ここがまた変わった地勢のところで、多摩川の段丘台地のさらに上のてっぺんに、古墳がありまして、この墳墓が境内に隣接包摂されているような構造で、参道が脇参道として、台地の上の境内に登り階段で這い上がっていく変わった接道のしかたをしています。つまり、社殿からまっすぐ伸びる参道がありません。駐車スペースはこの脇参道の上り口の鳥居の前に3台ほど。東側裏手からもっと広い駐車場に上がっていく坂はあるのですが、これは月極駐車場と一部共用しており、屋根なし青空ですが、神社の重要な神饌収入の一部になっているはずです(しかしこの地面の下はもしかしたらお墓/古墳の墳墓/の一角ではなかろうか)。南に開いている階段参道には鳥居もありません。境内は無駄に広く、七五三ならチビッ子が思いっきり走り回れる広さで、お祭りなら境内いっぱいに露天を立ち並べられる広さがあります。まったく飾り気のない神楽殿が本殿向かって左、社務所と授与所が本殿向かって右にあります。拝殿がこじんまりと見えてしまい、この拝殿の背後がまた更に標高を稼ぐ台地になっていて、神殿はその上に露天で続いています。この神殿は断崖絶壁の上に鎮座していて、梯子を掛けないと登拝することはできません(西方に犬走様の笹漕ぎ路が岡の上に続いているみたいで、本殿へはここから結ばれるのでしょうが、ふだんは通行できなくしてあります)。境内地自体が高い場所にあると言うこともあって、空が広く見え、よくあるお宮を覆う樹木が殆ど無いのも特徴です。ただ、殊勝なのは、神職常駐で、お守りやお札などが、しっかりと整っていることで、東日本では希少な宇佐さまの面目はそれだけで十分価値のあるご祭神(応神天皇/ほんだわけのみこと)です。崇敬者も殊の外多く、この尾山台地区の氏子区域外にもたくさんおり、中世に源頼義が勧請した由緒から、源家なので八幡さまで、そこで、豊前の宇佐さまとつながるようです。宮司さんは寡黙で物腰柔らかく、聞けばそこらへんのことをお話ししてくれます。
坂のなかにある神社です。境内は広く、神楽殿は歴史を感じられる面持ちです。
環八通りから寮の坂という急勾配の坂を下った先にある。神社東側に駐車場があるが入ってみたら高級外車ばかりだったので参拝者用ではなく月極駐車場であろう。鳥居前に3台分参拝者用駐車場あり。階段を登り拝殿へ。周囲は高級住宅街だが社殿は高級な感じではなくどこの村にでもあるような神社。拝殿裏の崖の上にあるのが本殿であろうか。その崖になっている山が古墳であろうか。源頼義に関わる神社であるが宇佐の社名であるのが珍しい。
お正月に参拝しました。良いお天気でたくさんの人が参拝していました。皆さん礼儀正しくて順番も守って参拝させていただき、清々しい気持ちになりました。
2024年12月11日㈬うさじんじゃ!近くのお寺も見えてお得な神社だね。
境内は綺麗に整備されてました。本殿の裏手には庚申塚がありました。
寛延元年十一月吉日製。本殿左手にいます。三猿は見えない。板碑型です。狛犬は昭和十年十二月吉日製。石工小俣庄右エ門の名が見えます。
康平5年(1063)創建で、永承6年(1051)に源頼義が前九年の役に出征する際、勝利を誓い、そして凱旋の途中で立ち寄り、八幡社を建てたのが起源とされる宇佐神社、八幡塚古墳の中腹に鎮座されます。境内の「宇佐神社由緒」碑に神社の歴史が刻まれています。瓦屋根木造の拝殿の造りは比較的質素ですが、重厚感があり、村の鎮守の風格が感じられます。拝殿左手奥に、江戸期に奉納されたと思われる庚申塔があります。
| 名前 |
尾山台宇佐神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3702-0875 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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八幡塚古墳を見に立ち寄りましたが、判然としませんでした。