広い敷地、思い出の母校。
東京都立総合工科高等学校の特徴
広い敷地はまるで森のようで、自然豊かな環境です。
剣道部は温かい雰囲気で、みんなが仲良く活動しています。
ロボット部は世界大会出場の実績を誇る、素晴らしい学校です。
敷地が広くて森のようなところです。
世田谷工業高校時代に通っていました、リアルビーバップの様な学校でしたが良い思い出です。
私の母校です。昔は都立世田谷工業高等学校でした。
石川柊太!!!!!!
行けるか不安(偏差値40くらい)俺死にすぎ見学いったけれどとても広く設備が充実しているからとても良い学校だと思います。P.S. ここ入りたい。
卒業生です。
ロボット部が世界大会出場など凄い実績を持つ学校。
歴史を少し書かせて頂きます。1960年頃、東京都は試験的に戦後2つ目と言われる先進的な中高6年制の学校を敷地の北側に設置。約8割の先生方が国立大学の修士卒(1学科40人の内のTop2人しか修士コースに進めなかった時代)で、麻布中学に並ぶ教育をしようと尽力された。例えば、上野の鈴本演芸場を借り切って春の遠足の代わりに、すたれ行く落語という伝統芸能を理解させたいと落語を鈴本演芸場と賛同された出演者が演じた。東京都では前例がなく、東京都教育委員会が許可するまで数年を要したとのこと。そのメンバーの殆どが1966年に「笑点」という番組の出演メンバーであった。三遊亭柳橋さんは80歳で「二番煎じ」という高度な技術を要する落語を演じてくださった。修学旅行では、京都の化野の念仏寺から天龍寺正門まで、3人以上ならだれとでも良い、主ルートから200m以内ならどこに行っても良いという条件で文化と地域の美しさや良さを鑑賞してくるようにという命題を与えた。全国で初めてで、全国の教育者から驚嘆と称賛を受けたという。バスケット部は、指導教官がバスケットボールの国際審判員の資格を持つ先生(東京教育大学修士卒)で、1964年の東京オリンピックのバスケットボール競技の主審や副審を務めた。曹洞宗のお寺のお坊さんでもあった。優れた指導教官の下に多数の生徒がバスケットボール部に入り、毎年、東京都の大会で優勝する事が多く、準優勝、三位がたまにあった。この先生は、『優れた選手だけを出して優勝した表彰状には何の価値もない! 全員を出して優勝しろ!』と、当時の主将を厳しく叱責、新しいパラダイムを切り開き、次回の大会で東京都で準優勝を獲得、その次の大会で優勝を遂げた。私の複数の友人がしばしばスタメン。卒業生には、東京大学、東京工業大学、東京教育大学(1972年廃校、主要部分が新設の筑波大学が吸収)、東京学芸大学、電気通信大学、早稲田大学などに進んだ人がいる。4当5落という風潮を嫌い、東大、東京工でも上位に入れるのに私立大学に行った人もいた。男女共学でありながら、工業技術を教える理系高校のため、女性は殆どいなかった。中高6年一貫部分は、電気系と機械系の2編成があり、第12期生を最後に、廃校になった。高校部分は、中学からの卒業生がいなくなり、一般募集に切り替わった。今は、この名残がないのは残念に思います。
人間の屑が集まるとこすぐ旋盤壊すやついる早急になくなって欲しい。
名前 |
東京都立総合工科高等学校 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3483-0204 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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ここの剣道部はみんな優しくてとても良かったです。