古代の技術を宿す静寂の神社。
伊居太神社の特徴
機織り技術の由緒ある神社で、織姫伝承が魅力的です。
応神天皇と仁徳天皇を祀る池田市最古の神社です。
自然豊かな五月山公園の近くに位置し、静寂感が楽しめます。
池田市に現在する最古の神社らしい。御祭神は「応神天皇」「仁徳天皇」「穴織(あやはとり)大明神」。「穴織大明神」は、別名「穴織媛(あやはとりのひめ)」といい、呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる織姫だそうです。珍しい。池田駅側にある呉服神社が「下の宮」とされるのに対し、こちらの伊居太神社は「上の宮」と称される。
応神天皇の時代に機織の技術を導入するために呉の国から招いた4人の縫工女のお1人と応神天皇、仁徳天皇が祀られます。3神が祀られているので千鳥唐破風寄棟造りの三社造という珍しい本殿となっています。山門は織田信長と荒木村重のケンカのトバッチリで焼失したものを豊臣秀頼が再建したもので瓢箪の飾り彫りが設えてあります。「下の宮」の呉服神社が新しい社殿であるのに対し「上の宮」伊居太神社は歴史を感じさせる風情でいい対比になっています。
1579年の織田信長と荒木村重による有岡城の戦いの戦火に巻き込まれて社殿が焼失する。その後、1604年に豊臣秀頼によって本殿が再建された。
昔は相当賑わったらしい。付近は池田新地等と称され赤線が存在した頃、地域のヤクザからの御布施も多かった、と近隣住民の1人が力説していた。今の池田駅周辺など田んぼだらけだった、とのこと。余り人には教えたくないが、紅葉の時期は素晴らしい。
御祭神:穴織大明神/応神天皇/仁徳天皇創建は仁徳天皇77年(390)と伝わり、池田市に現存する中では最古の神社です。現在の社殿は慶長9年(1604)豊臣秀頼公により再建されたもので、御本殿は「千鳥唐破風三棟寄造」という中央に唐破風、両側に千鳥破風を組み合わせた珍しい構造になっています。御祭神の穴織大明神は、日本に機織・裁縫の技術を伝えた「穴織媛」のことであり、呉の国に派遣された阿知使主と都加使主父子が、呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた穴織媛が仁徳天皇76年に死去、翌77年に仁徳天皇によって祀られたと伝えられています。拝:2021/10/18
ざっくり言うと、応神天皇の時代にそれまで国内に衣服裁縫の技術が乏しかった時代に優れた縫工女がいるとされた呉(三国志の呉)から何人か連れてこようという話になって呉を目指すのだけれども道が分からない。そこで高麗王にお願いして道案内をつけてもらい、無事到着。この時の道案内二人「久禮波・久禮志」の名前から「呉波(くれは)」がきているんだとか。で、来てもらった4人のうち3人がこの摂津国に入って、うち2人がそれぞれ伊居太神社と呉服神社で裁縫技術の伝達に尽力。最後の1人の詳細は不明とのこと。そんなこんなでその功績を称えて、この伊居太神社では応神天皇・仁徳天皇と並んで穴織大明神をお祀りし、呉服神社では仁徳天皇と呉服大明神をお祀りされたということ。
池田市の五月山公園の側にある神社です。普段もお詣りの人は少なく、ひっそりと佇んでいますが、その由緒は古く、大変尊い歴史を持った神社です。周りを木々に囲まれ、散策にもとても気持ちの良い場所になっています。最寄りの阪急池田駅からは、徒歩で15分〜20分程度の距離で、神社近くになると最後は急坂の石段を登ることになりますが、境内まで辿り着くと、猪名川を、挟んで遠く西宮・芦屋方面まで見渡せます。
伊居太神社いけだじんじゃ大阪府池田市綾羽2丁目4−5祭神穴織大明神(あやはとりだいみょうじん)応神天皇仁徳天皇応神天皇の時,機織り技術を得るため阿知使主(あちのおみ)都加使主(つかのおみ)父子を呉国に派遣した使主とは渡来系官僚なお呉国とは中国春秋時代の呉越の呉ではなく半島の百済をさすもの思われます織姫の4姉妹が迎えられましたがそのうちの一人の穴織媛(あやはとりのひめ)が池田に迎えられ技術を伝承しました穴織大明神(あやはとりだいみょうじん)とは穴織媛の事です呉服媛(くれはとりのひめ)の妹ですなお呉服媛は呉服神社の祭神です5世紀には当地域は先進地域で中国南宋、半島からの技術導入に熱心でした異国に参り来た姫の望郷の念如何ばかりであったか末社に為那都比古神社ありなお池田の地名はこの時代からありました池田の漢字が使われたのは日本南北朝時代の北朝の応援の為、美濃国から池田氏が応援に来た時以来と言われております2021/2/24 参詣。
長年地元に住んでいましたが、初めて行きました。ひっそりと佇む神社で、ゆっくり参拝できました。
名前 |
伊居太神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-751-4652 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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機織り技術の伝来に関連する由緒ある落ち着いた神社です。南にある神社参道の階段登り口に、石の台座部分だけが残されています。石灯籠か狛犬か、もしかしたら鳥居が建っていたのかもしれません。その台座には「五軒問屋」と刻まれています。五軒問屋とは江戸時代、大坂・伏見町で長崎からの輸入反物を扱う特権を持った商人たちのことだと思われます。反物や生糸など繊維関係の商品を扱う商人たちが、機織りの神様を祀る神社へ石灯籠などを奉納したのでは、と勝手に想像しています。訪れたのは5月ですが、参道の階段途中にテイカカズラが咲き芳しい香りが漂っていました。境内に上がると社殿、拝殿、能舞台、山門などがありました。瓦にはひょうたんの絵柄も見られ、豊臣秀頼によって再建されたエピソードに関係するのでは、と、またまた想像力が働く楽しい神社でもありました。