江戸向き地蔵が見守る青梅街道。
江戸向き地蔵と三山百番供養塔の特徴
青梅街道沿いの五差路交差点に位置する歴史的な地蔵尊です。
享保14年に造立された江戸向き地蔵が中央に立っています。
秩父、西国、坂東の巡礼の記念碑も見られるエリアです。
秩父、西国、坂東の巡礼の記念碑を見ることがある。三つの観音巡礼場所の合計数が100ということらしい。調べてみると秩父こそ100㎞程の旅程だが、西国と坂東は1000㎞を超す。これを徒歩であるくのだから大変だ。江戸時代にそれだけ長い時間をかけて旅行する豊かさがあったことも凄い。
青梅街道の上井草4丁目の五差路交差点に江戸中期に民間信仰で建立された地蔵尊で江戸向き地蔵と名付けられているのは江戸城の方を向いているからか。
中央の地蔵菩薩立像は 享保14(1729)年の造立。三体の地蔵菩薩立像と、一基の三山百番供養塔が造立されています。これらは、江戸時代以降、地域の人々が願いを込めて造立した民間信仰石造物です。中央の地蔵菩薩立像は、享保十四年(1729年)に造立され、通称「江戸向き地蔵」と呼ばれていたと伝わります。また、この場所において、地域の人々が集まって念仏を唱え、支社の供養を行う念仏講等の活動が行われていたと言われています。三山百番供養塔は、文政九年(1826年)に造立され、江戸時代に流行した坂東三十三番、秩父三十四番、西国三十三番の角巡礼場所を足した百番と出羽三山の巡礼を終えた巡礼記念として作られたものと考えられます。また、梵字で「観世音」と刻まれていることから、その功徳を地域の人ボトに施す目的もあったと思われます。
タダの道標(みちしるべ)にしては立派!?だが、品がない。中途半端な大きさ、場所なので探す目指す?必要はないかな…
井草八幡宮を参拝して、江戸向き地蔵を散策です。お地蔵さんが、しっかりと、息づいていますね。
江戸時代以降に作られた民間信仰石造物だそうです。名前の通り、江戸の方向を向いています。青梅街道沿いの交差点の所にあります。青梅街道の交通量が多いのは勿論のことですが、この交差点は五叉路なので、あちらからこちらから車や自転車が行き交います。
青梅街道沿いで、善福寺近くの大変交通量の多い場所に立っています。中央の地蔵菩薩立像は、享保14年1729年に建てられ、江戸向き地蔵と呼ばれていたそうです。地域の人々の信仰の対象で死者の供養を行う念仏など行われていました。江戸向き地蔵の左に三山百番供養塔というのが立っています。以下説明板から文政9年(1826年)に造立され、江戸時代に流行した坂東三十三番、秩父三十四番、両国三十三番の角巡礼を足した百番と出羽三山の巡礼を終えた巡礼記念として作られたものと考えられます。又、梵字で「観世音」と刻まれている事から、その功徳を地域の人々に施す目的もあったと思われます。
長い間「開運地蔵尊」という名前で親しまれていましたが脇のお地蔵さまの頭が取れるなどかなり荒廃してました。最近地元の有志の方々の努力で「江戸向き地蔵」としてリニューアルしました。(*’∀’*)三叉路地の分岐点で江戸の方角を向いているので昔は旅人のよき道標になってたんでしょうね。街道沿いで元の場所のままというのは珍しいです。大抵は道路の拡張工事の際移動させられます。脇にあった頭の壊れてたお地蔵さまの代わりに新しいお地蔵さまが両脇に設置されました。この先200mという「曹洞宗善福寺」の案内もあるのでここは「善福寺」が管理してるのかもしれません。
中央に立っている地蔵菩薩立像が江戸向き地蔵と呼ばれていたそうです。亨保十四年(1729年)造立だそうです。
名前 |
江戸向き地蔵と三山百番供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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青梅街道杉並区と練馬区の間にあります。青梅街道を車で走っていても見えるょ地蔵菩薩立像は、享保十四年(1729年)に造立され、通称「江戸向き地蔵」と呼ばれていたと伝わります。また、この場所において、地域の人々が集まって念仏を唱え、死者の供養を行う念仏講等の活動が行われていたと言われています。との事😃