戦国武将・佐々成政の霞堤。
佐々堤の特徴
戦国時代に織田信長から与えられた歴史的な場所です。
佐々成政が築いた史跡で川の流れが圧巻です。
常願寺川の氾濫を治めた伝説が残るスポットです。
2025.08.16車で前を通り、ちょっと見学しました。
戦国時代、織田信長から越中を与えられた佐々成政が築いた。
川の流れが凄いです。音も凄いから、夏なら涼しく感じるのかな?
桜の下の散歩は、最高。佐々堤に沿って、遊歩道が、整備されています。常西用水は水量が多く、流れも速いく、危ないですが、防護柵があります。桜のシーズンは風が冷たいので、防寒着が必要。
その昔、佐々成政が常願寺川の氾濫を治めるために築いたといわれています。常西用水にその一部を見ることができます。
| 名前 |
佐々堤 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/gakusyuu/tanken/sassa.html |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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富山市中番に残る佐々堤は、戦国武将・佐々成政が自ら陣頭に立ち、富山城下を水害から守るために築いたと伝わる霞堤である。その規模と構造は当時としては破格であり、現在もその一部が川底に姿を留めている。佐々堤(さっさてい)は、富山県富山市中番(旧大山町馬瀬口)に位置する戦国時代の河川治水遺構である。1580年(天正8年)に発生した常願寺川の大洪水により、富山城下が濁流に呑まれる被害を受けたことを契機に、当時の城主であった佐々成政が築造に着手したと伝わる。現地の案内板や行政資料などによれば、築堤は翌1581年(天正9年)までには完了していたとみられており、越中の地における本格的な治水工事の嚆矢とされる。この堤防の形式は「霞堤(かすみてい)」と呼ばれ、洪水時にはあえて水を流す開口部を設けることで、流れを誘導・緩和する構造となっている。佐々堤はその中でも極めて大規模で、底辺約40メートル、高さ約10メートル、長さは150メートルに及び、三面に玉石を敷き詰めた堅牢な築造がなされた。このような構造は、富山平野を襲う常願寺川の荒ぶる流れに対処するためのものであり、築造当時の技術的水準をはるかに超える挑戦だったといえる。堤防は完成から長い年月を経る中で、上流からの土砂堆積により次第に埋没し、現在ではその大部分が地中に隠れている。ただし、近代以降に行われた常西合口用水の工事の際に、川底から玉石積みの天端が一部露出し、佐々堤の実在と構造の一端が明らかとなった。現存部は現在、常願寺川左岸の常西合口用水底に確認されており、その位置には案内板と「霞堤の碑」が設置されている。法的には国や県、市町村による文化財指定は確認されていないが、富山市の河川史を語るうえで欠かすことのできない重要な遺構である。地元では「佐々提(てい)」という呼称も併用されており、地域に根差した史跡として記憶されている。築堤にまつわる逸話も残る。なかでも広く知られているのが、佐々成政がこの堤防を築く際、人柱を用いなかったという伝承である。古来、大規模な土木工事には人柱の風習が伴うことが多かったが、成政はこれを避け、無事に工事を完遂したとされている。ただし、この話の初出や記録年代については明確でなく、あくまで後世に語られた地域伝承の域を出ないものである。とはいえ、成政の民に寄り添う姿勢を象徴するエピソードとして、現在も語り継がれている。また、この地域には佐々堤と連関する他の治水施設も存在する。なかでも重要なのが、常西合口用水である。江戸時代に掘削されたこの用水は、佐々堤が築かれた場所の流路を一部引き継ぐかたちで整備され、現在では富山平野の灌漑や洪水調整に寄与している。この用水は2020年に「世界かんがい施設遺産」に登録され、地域における水利の歴史を象徴する存在として国際的な評価を得ている。佐々堤の一部がこの用水の川底に遺存していることからも、古代と近代の治水事業が重層的に連なっている様相がうかがえる。さらに、佐々堤の上流には「殿様林」と呼ばれる水防林が残されている。これは1769年(明和6年)、加賀藩主前田利與の命により松林が造成されたもので、洪水時の水流の勢いを弱める目的で整備された。現在も約100本の老松が残り、往時の治水策の一端を今に伝えている。殿様林は面積約6ヘクタールにおよび、佐々堤との連続性においても重要な意味を持つ。佐々堤の意義は、単なる治水施設としての役割にとどまらない。この遺構は、戦国時代末期という不安定な時代において、支配者がいかにして領民の生活を安定させようとしたかを示す貴重な実例である。また、富山という土地が自然災害とどう向き合ってきたかを知るうえで、不可欠な存在でもある。まとめると、佐々堤は富山市中番の一隅に静かに眠る歴史遺構でありながら、その背後には佐々成政の政治理念と地域治水の歩みが息づいている。現在ではその姿を直接に目にすることは難しいが、常西合口用水や殿様林といった関連施設を含めて訪ね歩くことで、越中富山の水と人の歴史に触れることができるだろう。石積みの断片の先にあるこの地域の物語は、今後も静かに、しかし確かに語り継がれていくに違いない。