南北朝の城跡、歴史の息吹。
千頭峯城跡の特徴
南北朝時代に築かれた井伊氏の本格的な山城です。
標高137mの静岡県指定史跡で、歴史を感じられます。
廃城感たっぷりな遺構や見張所が点在する魅力的な城跡です。
奥平氏の城の中で、最強と言われている、千頭峯城に行ってきました。ここは、わりと整備されていて、見どころにはキッチリ、看板表示もされていて、よかったです。でも、人並外れた方向音痴の僕は、ちゃんと、道に迷いました。戦国時代に生きていなくてよかったです。こんな方向音痴な兵士はすぐに敵にやられていると思いますwww
2018/8/8南北朝時代に井伊氏の一族が築いた城らしい。確かに城としての遺構が遺っているが、あまり荒々しさを感じないことから、戦国時代にはあまり機能していなかったのかもしれない。
南北朝時代、後醍醐天皇の皇子宗良親王が南朝の征東将軍として吉野から伊勢を経由し、陸奥へ渡ろうとしたが途中で座礁し、遠江に漂着(現在の浜松市白羽町付近に碑がある)。その後、井伊氏に身を寄せていたが、本拠は井伊谷城。その西の防衛拠点であったのが千頭峯城であり、南北朝時代の典型的鶴翼型山城であった。オレンジロードのトンネル入口手前にある駐車場に車を停め、そこからは徒歩。草等も刈られ山道もよく整備されている。
歩道がある程度整備されていて、城跡の目印もよくわかりました。城のあった頃を思い浮かべながら歩くと、面白いです。新緑の頃とか、気持ちよさそうです。夏場は虫とかたくさんいるだろうなと思います。歩道は、気が倒れていたり、シダが茂って見えにくくなっているところがあります。上の方に見晴らしの良い場所はありません。
旧三ヶ日町の山中にある南北朝時代の山城です。旧引佐町にある三岳城の支城であったといわれています。後醍醐天皇の皇子である宗良親王を奉じた南朝の軍がこの城に立て籠もり、北朝の軍勢と戦いました。北朝の攻め手の大将は、足利尊氏の側近高師直の従兄弟といわれる高師兼。南朝方には、土着勢力の井伊氏が加勢しました。千頭峯城は、訪れれば分かる通り天険の要害であり、容易に攻め落とせる城ではありませんでしたが、大軍をもって攻め寄せた北朝軍の前にはなす術なく、落城してしまいます。この戦いで北朝方につき武功を示した浜名清政という武将が、やがて三ヶ日一円を支配する有力豪族として地位を高めていくことになります。
思ったよりも本格的な山城です。真夏に行ったのが、ちょっと失敗。写真よりも草がうっそうとしていて、クモの巣だらけ。キツかったです。
標高137mで静岡県指定史跡駐車場に縄張図付き説明板がある暦応2年(1339)に北朝軍によって攻め落とされてる(((・・;)その後16世紀の戦国期に手が加えられ再利用されてるようだよん遺構は曲輪に土塁、食い違い虎口も♪モチロン堀切に竪堀さらに井戸跡♪倒木アリのチョイヤブあるあるで廃城感たっっぷり(^^)dさらに支城に 鯉山砦、中千頭砦、長岩砦、池田峠、隠尾峠砦、尾奈砦などのほか、見張所が何ヵ所も♪(^o^ゞ城塞群を見てまわりたいケド、とても1日ではまわりきれない 嬉しい城跡♪ヽ(´▽`)/支城群はミカン畑になってるトコもあるよん(^o^;)
中性の山城の跡。案内板や遊歩道が整備されていて、散策しやすくなっています。
駐車場も完備された遺構もばっちり残っている良いお城です。駐車場に見取り図があるのでそれも参考に歩くといいです。薮になっていて入れない所もありますがこれだけ残っている山城は嬉しいものです。
| 名前 |
千頭峯城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
県道脇に駐車場が、あります。お城の解説看板が目印です。城趾は、駐車場から本曲輪まで歩いて10分程。しかし、急なところもあり、足元には気をつけて下さい。整備は、キチンとされていて、遺構も、それなりに残っています。冬場に行ったので夏場は、草や虫も凄いかも。