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名前 |
矢合地区墓地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
寛政や天保の頃の矢合村の村絵図に三昧や墓地の記載はない。この場所と思われる辺りはただ、松山とのみ記載されている。今昔マップでは1932年の地図からこの場所に墓地の記号が現れる。古くからの墓地ではないのか、もしくは古くから墓地として使用はされていたが松山という非耕作地を墓地として利用していたため尾張藩が村絵図に記載する意味を認めなかったのかもしれない。床面が砂利や石ではなく踏み固められた土であり、また墓石がない土饅頭に花生けがある古いタイプの墓も混在している。墓地中央の六地蔵前に空間部がある。かつてこのスペースに棺台や供物台があり、ここで葬儀が行われていたのではないか。ただし今は棺台や供物台といった昔の葬儀の遺構は残されていない。墓地の一角に使われなくなった石塔や墓石が無造作にまとめて積み上げられており、あるいはその中に棺台や供物台も片付けられている可能性がある。土饅頭が散見され地元の方以外が不用意に踏み込むとかつての埋葬慕の上を踏んでしまう恐れもあるため、あまり立ち入っての見学は控えた。