スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
岩崎の皿堂(毘沙門堂) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
岩崎の皿堂(毘沙門堂)は、県道25号線が小塚後集落へ向かう市道と別れる三叉路に建っています。床面積はほぼ一間四方(210cm×210cm)で板張り。屋根は瓦葺きで、天井も壁もない典型的な四つ堂形式です。県道側を正面として建てられており、奥側上面には祭壇が設けられています。棟札を見ると、現在のお堂が昭和61年(1986年)に再建されたことが判ります。文化庁文化財部編「辻堂の習俗Ⅲ」の記録によれば、それ以前には昭和33年(1958年)に再建された切妻造り、トタン葺きのお堂が建っていたようです。祭壇には石仏6体が並んでおり、真ん中の2体は弘法大師のようです。その両側に置かれている4体は舟形光背を背負っており、四国八十八か所巡りの番号が彫られています。辻堂が札所になっていることは多いですが、一カ所に4体は多いので、近くの札所から引っ越した石仏もあるのかもしれません。先の文化庁の記録が作られた昭和59年(1984年)当時には、それらの他に木造の毘沙門天像も祀られていましたが、今は「毘沙門堂」の名前だけが残されているようです。江戸時代に福山藩の領地があった備後地域では、その頃の街道筋に今も多くの辻堂が残っています。初代福山藩主の水野勝成が、旅人が休めるような休憩所の整備を領民に奨励したのが始まりとされています。当初は旅人の休憩場所として建てられましたが、後に地蔵や石仏が持ち込まれて信仰の場としての意味も持つようになりました。国は昭和58年(1983年)に、広島県内の辻堂を「安芸・備後の辻堂の習俗」という名称で無形民俗文化財に選定しています。