歴史が息づく村野家住宅の魅力。
村野家住宅(顧想園)の特徴
明治14年に建てられた顧想園は貴重な文化財です。
国登録有形文化財の薬医門が見どころの一つです。
武蔵野の面影を残す、美しい昔の風景が魅力です。
国指定有形文化財「村野家住宅」の、「薬医門」(1881年築)がある東南面に見事な屋敷林が続いている。所沢市にある、国立博物館「黄林閣」(重要文化財)は、ここ東久留米市柳窪にあった大庄屋村野家住宅を移築したものであった。と言う事は、こちらの村野家とは同族のお家であったのだろうか。所沢の元村野家住宅は、無料見学が基本いつでも可能だが(勿論休館日を除き)、此方は特別見学会を除き一般公開はないので、ご注意を。
こぼれ日の中にある国の有形文化財村野家日にちは決まっていませんが市が人数限定で参加料500円でお茶と菓子がでました。今はどうなのかなしかし立派なお宅でビックリしましたいつまでも守ってほしいです。
村野家住宅(顧想園)は見学者をドンドン呼び込んで儲けようとする商業施設(遊園地等)ではないのです。前当主の江戸時代からの家屋敷を後世に残そうとする使命感で国の登録有形文化財に申請し認められたものです。我々としては、サポーターズクラブ会員になって村野家わ支援して行くに尽きます。
この村野家住宅は、主屋のほか6棟が国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。薬医門は、正面に日の出が見えたことから「日の出門」と呼ばれています。総そう欅けやき造りで明治14年(1881)の建築です。 主屋は市内に残る唯一の茅葺家屋で、欅や杉の屋敷林に囲まれた佇たたずまいは江戸から明治初期の景観を保っています。建築年代は天保9年(1838)に遡り、安政4年(1857)、当初の四ッ間型から「おく」が増築されて六ッ間型となりました。土間には後に帳場が付け加えられており、商家であったことをうかがい知ることができます。付書院のある奥座敷の床柱には、慶應2年(1866)の「武州世直し一揆」による傷跡が残されています。式台玄関は昭和2年(1927)の建造です。離れの建物は、婚姻関係にあった田無町(現・西東京市)の下田家から移築したものです。明治後期の建築ですが、大正後期に移築され、更に昭和25年に一部を洋風に改造しています。その他、江戸時代末期に建築された土蔵や穀蔵、明治28年建築の蔵前付きの新蔵も現存しています。主屋と新蔵の間には、前庭と奥庭を画する中雀門が置かれています。中雀門は大正後期の建築です。
「顧想園」改修中の銅屋根が完成したようです、工事用に掛かっていたブルーシートが取り払われていました、コロナ禍のため公開は先になるようです。
一般公開はされていない。周辺は武蔵野の面影が残る地区。よくぞ残した古民家。
明治14年、2代目の当主が建てた顧想園の表門「薬医門」平成23年に国登録有形文化財に登録されて以降、年数回おこなわれる公開日の際に見学者の入口に使われています。扉に用いられているのは、350年以上前のケヤキの一枚板、その他の部材は全て敷地内で伐採されたケヤキで建てられています。主屋に対してなぜか?斜めに建てられた表門。初日の出が表門から射し込むように造られているからだそうです。その他にも、国登録有形文化財が7件(穀倉、新蔵・茶室、中雀門、主屋、離れ、土蔵)あります。天保9年に建てられた顧想園の主屋。東久留米市内に唯一残された貴重な萱葺き屋根の建物です。萱の葺き替えは新潟県長岡市の職人に依頼しているこだわりぶりです。庭を回り込むと現れたのは豪華な懸魚を備えた式台玄関。もともと農家の造りである主屋に式台を設けたのは、昭和2年11月に東村山で演習があった際、秩父宮殿下をお迎えするためでした。それ以前にも大規模な増築がおこなわれています。天保9年(1838)当時は変形四つ間取り、その後幕末の安政4年に座敷部分を六つ間取りに増築しています。2020.03/29記。
武蔵野の面影を残す貴重な遺産!
これからも是非残したら続けて欲しい建物です!
| 名前 |
村野家住宅(顧想園) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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代々、脈々と続く家に興味があり往時の生活ぶりをあれこれ考えを巡らすのが好きなので機会があれば訪ねる事にしている。