桜と歴史が彩る、武蔵国分寺の跡地。
七重塔跡の特徴
桜の季節には美しい景色が広がり、地元民にも親しまれる名所です。
高さ60m推定の七重塔跡が歴史の深さを感じさせる場所です。
開放感のある広場で、訪れる人々に穏やかなひとときを提供しています。
武蔵国分寺が大きな規模で壮麗であった断定できる遺構で、承和2年(835)に落雷により焼失したと記録されている。復元模型はおたかの道湧水園内にある。
武蔵国分寺跡を見学した後、七重塔も訪問してみました。武蔵国分寺跡から徒歩約5分の場所にあります。
七重塔が建てられた時代は今から1280年前の奈良時代、当時高さ60mその塔の心柱の土台が残されている。礎石のいくつかは現存。七重塔は中は寸胴で空で、階段はなかつたそうです。落ち葉整理していたシルバー人材の方に説明を受ける。このエリアは駐車場がなく道狭い。そこで住所3丁目22.24.25の間の道に路上駐車出来る。自己責任ですよ。
武蔵国分寺の七重塔は推定60mもあったそうです。ビルでいうと20階建て規模くらいでしょうか。聖武天皇の時代(741年)に60mもの建築物を建てれる建築技術に驚きです。
礎の部分しかなく、周囲は空き地になっていますが、今の季節は桜が見事です。
地元民しか知らない桜の名所。
春だったら桜が見事なんだろうなぁ。国分寺市の歴史の深さと由緒の正しさが垣間見える場所です。歴史好きには楽しいかもです。
8世紀中頃に建設された、この七重塔(高さ推定60m)には、奈良の都の国立写経所で作成された、金字の「金光明最勝王経」が安置されていました。このころ「天然痘」の蔓延により、国民の四人に一人が亡くなったと言われています。そのような国家の非常事態に対し、このお経におすがりすれば、四天王が現れて国家を救ってくださるというのが、国分寺建立の理由と聞いております。また、総国分寺である、奈良の東大寺西大門には「金光明四天王護国之寺」の巨大な扁額が掲げられていました。年を重ねること千数百年、新型コロナウイルスは、人類の英知の積み重ねで、なんとか克服したいものです。
この場所に立つと聖武天皇が立てたというお寺がイメージできます。
名前 |
七重塔跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004222.html |
評価 |
3.9 |
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桜の季節はとても綺麗な場所です。七重塔は今は失われ、現在は礎石を残すのみとなります。