歴史を感じる熊野神社の境内。
久米川熊野神社の特徴
久米川の合戦時に新田義貞が後詰を置いた場所と伝えられています。
敷地内には歴史を感じる立派な富士塚があります。
桜が咲き誇る広い境内で古きよき時代を感じられます。
2025.8.13御祭神■伊邪那岐命日本神話における創造神の一柱。天照大神、月読命、須佐之男命などの多くの神々を生み出した父神でもあります。■伊邪那美命伊邪那岐命の妃神であり、国生みと神生みを行ったとされる神です。■天照大神日本神話における太陽神であり、皇室の祖神、そして日本国民の総氏神として信仰されている女神です。■(須佐之男命)案内板には()付いてる、何で?天照大神の弟。治水の神、厄除けの神。出雲でヤマタノオロチを退治した伝説で有名です。左側に社標。なぜか鳥居や社殿と違う向きになってます。違和感が有り、気を取られて足元の新橋に気が付きませんでした。(写真を見てて気づいた)神明鳥居、扁額は有りません。参道には石灯篭が2対あり、手前の灯籠には「熊野三社大権現」と刻まれ、天保六年の銘がある。狛犬は右が玉取りで左が子取りです。手水舎は水道の蛇口ですが使われてないもよう。拝殿はシンプルで立派です。木製の大きな扁額は「熊野宮」。いい味出してます。社殿は拝殿と繋がっておらず、独立してます。朱塗りで木造の玉垣に囲まれてますが間近で見ることが出来ます。拝殿の左側の奥に進むと境内社が並んでいます。手前から稲荷神社、神明宮、御嶽神社、伊勢神宮。案内板によると神社の西側にある熊野公園と北東の富士塚も境内の一部らしい。駐車場は鳥居の右側に数台とめられます。
西武新宿線東村山駅より所沢方面へ徒歩15分ほど。社務所は閉まっており人もおらず、がらんとした感じ。拝殿左手には、稲荷神社、神明宮、熊野神社、伊勢神宮の4つの境内社がある。
由緒板によると、新田義貞が久米川合戦の時に後詰(先陣の後方で待機する軍勢)を置いた場所と云われているそうです。境内には稲荷神社・神明社・御嶽神社・伊勢神宮等が祀られていて、神前灯籠には"熊野三社大権現"としっかり刻まれていました。
熊野神社の創建年代は不詳ですが、元弘年間(1331~1334)久米川の合戦の時に新田義貞が後詰を置いた所といい、久米川村の鎮守として崇敬を集めました。明治4年村社に列格、本殿新築の際に栖川熾仁親王より直蹟二軸を拝領したといいます。境内には伊勢神宮、神明社、御嶽神社、稲荷神社の社があります。隣が公園になっており子供達の遊ぶ声が聞こえてきました。
大きな通りから外れた道にある神社です。境内は広く、本殿は立派な構えをしてます。静かな場所にあり、神社の雰囲気も落ち着いているのが良いですね。
何度もこの道を通っていたのにこちらの神社にご挨拶してないと思い、つい最近参拝させていただきました。見た目は素朴であまり手入れされていない感じがありますが、神様がいる感じがしました。特に本殿左隣のアマテラスがお祀りされている所が一番強いエネルギーを感じました。もっと沢山の人が参拝に来てもいいのにと思う。代々木八幡宮によく参拝に行っておりましたが、こちらの方が僕としてはパワーを感じるんです。みなさんも口コミをあてにするのではなく、神社の大きさだとかじゃなく、神社を参拝した時に魂で感じたらよく分かると思う。良い波動が出てると参拝時に光の波がまぶたの闇の中に感じるんです。熊野神社全般に言えるのは、良い波動のエネルギーを感じるのは、もしかしたら、僕との相性が良いのか?魂の元がお祀りされている神様と関係あるのか?流石にそれが分かる能力は無いのですが、こんな素敵な神社ご近所にあるなら通っちゃうけどなぁ。僕の住んでる氏神様よりもエネルギーを感じる、、、比較はしてはいけないのですが(笑)もっと皆参拝に来て、こちらの神様をありがたがってほしい!余計なお世話だけど!!😝(笑)いつものように世界平和を願いました。
神聖な場所自然と同化していて良い。
社殿が立派です。
希代のコメディアン志村けん氏の父方の曾祖父六太郎氏は所沢街道沿いで車大工(荷車製作)を営んでいて、神社に板絵を奉納している。H30.05/30記。
| 名前 |
久米川熊野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
週末に東村山を散策していて通りかかりましたのでお参りしました。こちらの神社は、旧久米川村の鎮守として古くから地域で篤く信仰されてきた神社の様です。旧鎌倉街道沿いに鎮座しており、武蔵野の歴史や豊かな自然を感じられるスポットとなっています。案内看板によりますと、創建の年代は詳しく分かっていませんが、元弘年間(1330年代前半)の「久米川の合戦」の際、新田義貞が本陣の後方部隊にあたる「後詰(ごづめ)」を置いた場所と伝えられています。境内からは応永32年(1425年)銘の青銅製鰐口(わにぐち)や水鳥形香炉が発見されており、鎌倉・室町時代にはすでに社殿が存在していたと考えられています。文明18年(1486年)、聖護院門跡の道興准后(どうこうじゅごう)が東国を旅した際にこの地を訪れ、「くめくめ川(久米川)」にちなんだ和歌を詠んだ歴史もあります。道興准后の歌碑もあります。明治14年に本殿が落成した折には、有栖川宮熾仁親王から真蹟二軸を賜り、毎年例祭の際に掲げられているそうです。