700年の巨木とともに、心洗うひととき。
梅岩寺の特徴
応永5年創建の歴史を誇る曹洞宗のお寺です。
樹齢700年のケヤキが圧巻、天然記念物指定されています。
新四国八十八ヶ所石仏が揃い、歴史的価値を感じる場所です。
梅岩寺は、曹洞宗のお寺です。応永5年(1397)に真言宗観音寺として創建されたと伝えられています。戦国時代の兵乱で焼失し、その後曹洞宗に改め、芳林山梅岩寺と改号しました。浄牧院11世阿山呑硯(承応元年:1652没)が中興したと伝えられています。明治時代前後に、瀧谷寺を合併しています。境内の樹齢700年ケヤキは東京都の天然記念物に指定されています。令和4年にはカヤの木が東京都指定天然記念物に指定されています。コメディアンの志村けんの墓所があります。
応永5年(1397)の創建と云われています。元々は真言宗のお寺だったが、慶安4年(1651)に中興した際に曹洞宗に改めたそうです。境内には山門近くのケヤキとカヤの巨木をはじめ、新四国石仏、十三仏、六地蔵、鐘楼、増上寺の石灯籠等……見所満載でした。(◔‿◔) 因みに狭山三十三観音霊場の第9番札所でもあり、明治時代に合併した第10番札所の瀧谷寺の石碑もしっかりと残されていました。
創建年代は不詳ですが、真言宗白華山観音寺として応永5年(1397)創建と伝えられ、戦国時代の兵乱で焼失、その後曹洞宗に改め、芳林山梅岩寺と改号し、浄牧院11世阿山呑硯(承応元年1652年没)が中興したといいます。明治時代前後に大宙山瀧谷寺を合併しています。当寺にあった正観音像(火災で焼失)は慈覚大師の作で足利尊氏開運の霊佛であったと伝えられるほか、徳川家より寺領10石を受領していることから、寺紋には足利家の丸に二引紋、徳川家の葵紋を用いています。狭山三十三観音霊場の9番、10番(瀧谷寺)です。
曹洞宗のお寺の一つです。境内は広く、本堂も大きいです。十三仏が境内に立ってます。故・志村けんのお墓があるお寺ですが、ここではなく、お寺から少し離れた共同墓地に墓はございますので、故人のお墓参りをする方は注意した方が良いです。
ケヤキとカヤの大木が見事です。余談ですが、志村けんさんのお墓があります。
11時30分に鐘をつきます。たまたまその時間にいたら打ちますか?と誘われましたがお断りしました。はるか遠い昔、元旦に立ち寄ったら鐘をガンガンついた記憶があります。例のトトロ系のお地蔵さん6体と樹齢700年とも言われる樹木がありこざっぱりしたお寺です。所沢も八国山も見え意外と気持ちのいい感じの場所でした。はるか遠い昔はちょっとお地蔵さんとかが多く気味が悪く、子供が行くような場所ではなかったですが(笑)ちなみにご近所の熊野神社の方が子供の遊び場でした。電車もよく見えるし、富士山もあるし。うどんやも徳蔵寺も八国山もご近所で歩道が細くて府中街道車がガンガンが興醒めですがまぁいい感じですかね。早く新府中街道が出来上がって交通の流れが変わるといいのにね。
新編成 日本風土記に載っている 山門と天然記念物 のケヤキ と かや東村山50景(34 梅岩寺 と巨樹の風景)曹洞宗 創建1400年頃狭山観音33霊場9番札所 聖観音廃寺10番札所竜谷寺u003c石碑u003e 千手観音も兼ねています( 別の表記名 瀧谷寺u003c御朱印u003e竜谷寺u003c ネット u003e)[主な施設]市有形民俗文化財新四国石仏(88体の美しい石仏 写真9から 13新四国石仏の写真 お勧めします)市有形民俗文化財 庚申塔天王社(野際神社)の別当寺志村けんの墓 があります[ 美しい 季節]梅の花 秋のけやき[本堂]向拝の妻飾りのうさぎが好きなので投稿 しました( 写真8枚目)蟇股も見どころです[参考文献]ホームページ狭山 33 観音霊場巡り神社仏閣御朱印旅東村山市 ホームページ 東村山50景東村山市文化財。
戦国時代の兵乱で焼失して創建年代は不詳ですが、応永5年(1397年)に真言宗の白華山観音寺として創建され、その後、曹洞宗に改めて芳林山梅岩寺と改号し、浄牧院11世・阿山呑硯が中興したと伝えられています。明治時代前後に大宙山瀧谷寺(第10番札所)が合併されています。寺にあった正観音像(火災で焼失)は慈覚大師の作で足利尊氏開運の霊佛であったと伝えられるほか、徳川家より寺領10石を受領していることから、寺紋には足利家の丸に二引紋、徳川家の葵紋を用いています。山門の左右にケヤキが列植されていますが、山門の左手にある巨木が、東京都指定天然記念物の『梅岩寺のケヤキ』です。山門右手にあるカヤをこちらは『梅岩寺のカヤ』として東村山市指定天然記念物に指定されています。
お庭がとても落ち着いて素敵です✨
| 名前 |
梅岩寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
042-391-0230 |
| HP |
https://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/smph/tanoshimi/rekishi/sanpodo/course03.html |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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梅岩寺についての、伏線的(複線的)、付加的な情報について言うと、鎌倉幕府崩壊(正慶2年/元弘3年(1333年))後の応永5年(1397年)に、この寺院が創建されています。鎌倉幕府の滅亡から始まり、建武の新政を経て、南北朝の動乱と室町幕府の確立、そして足利義満による室町幕府の最盛期へと至る激動の時代でした。この付近は1333年6月24日の「久米川の戦い」で、新田義貞軍と鎌倉幕府軍との戦場になったところです。この間(かん)、この地域は武蔵七党の一つである「村山党」の勢力圏であり、軍事的な要衝でした。北朝方と南朝方との間で立場を変えながら この地でも争いが続きました。守護や領主の権力争いが続き、地元の武士団による「武蔵平一揆」などの地域紛争も発生しました。このような状況で、争いの犠牲になった者たちへの供養が行われたり、信仰に救いを求める者たちも現れるようになりました。そこで寺院建立等も行われました。曹洞宗(そうとうしゅう:禅宗)である梅岩寺は、元は真言宗(密教)のお寺だったようです。当時も護摩(ごま)などを焚いていたのでしょうか?新田義貞の関係しているお寺は、梅岩寺から南西へ500Mほど行った西武線の西側にある徳蔵寺の方で、こちらは臨済宗(りんざいしゅう:禅宗)のお寺です。梅岩寺の敷地内は、国道新463号線に直結する都県道新4号線 所沢入間バイパス 新所沢街道と、都県道新16号線新17号線 新府中街道との交差点ができる予定で、この近辺では新設の大規模幹線道路同士の最大のジャンクションになる所が梅岩寺です。新16号17号 新府中街道部分については、梅岩寺の東側の敷地が既に削られた状態です。都県道新4号線は、梅岩寺の北西300Mあたりにある埼玉県内の都県境付近(柳瀬川に架かる勝陣場橋の北側25M付近)まで既に完成しているため、あとは都内の部分の土地収用と工事のみが残された状態です。その都県道新4号線の道路が、梅岩寺のど真ん中に通る計画です。それは梅岩寺にとって 1397年に創建された時以来の重大な出来事です。梅岩寺の山門の脇にある樹齢700年のケヤキや、樹齢600年のカヤの巨樹は、いずれも東京都指定天然記念物であり、新四国八十八石仏や庚申塔、十三仏、六地蔵、等もある、伝統と文化の香りも豊かなお寺です。梅岩寺は、残された小さい土地で存続するのか、それとも どこか別のところに移転するのか、などということになりますが、いずれにしても、その行く末が気になります。