浦上天主堂の鐘楼跡、歴史を感じる隠れ名所。
旧浦上天主堂 鐘楼の特徴
長崎原爆によって崩れ落ちた鐘楼の歴史的価値。
浦上天主堂の隠れた名所として知られている場所です。
目立たない立て看板が印象的で見逃しがちなスポット。
あの日から80年目の8月9日、浦上天主堂を訪問しました。天主堂下にかつての天主堂鐘楼が残されています。原爆の爆風で、50トンもの鐘楼が吹き飛ばされた。どれだけの威力かと思うと背筋が寒くなります。再建された天主堂には2つの鐘楼。(原爆による倒壊前も鐘楼は2つ)長年1つの鐘しかなかったけれど、今年アメリカのカトリック信徒達の寄付によって復元されたそうです。80年ぶりに2つの鐘が揃い、午前11時2分に鳴らされました。平和を。
美しい教会側にある鐘楼跡は、周囲の景色とは異なる空気感があり、むしろショッキングでした。原爆の威力とその影響を実地で学べるスポットです。
浦上天主堂に行ったら少し裏手にあるこの場所は見ておいてほしいですね。浦上天主堂内は写真撮影はできませんが、原爆後に瓦礫のなかから発見されたマリア像の頭部はとても痛々しく、また哀れみを感じ、原爆の悲惨さを表している感じです。ぜひ一度訪れてみるといいですね。
地元民さえ、知ってる人が少ない、隠れた名所😭
長崎原爆により崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼。周りは草花に覆われ、平和な時代になったと感じられる遺構。
2023.04.05原爆の爆風で崩れ落ちた鐘楼である。爆心地からは500メートルほどの距離だ。想像しようとしても想像できない光景であろう。
隠れキリシタンを先祖に持つカトリック教徒が建てた浦上天主堂は、原爆によって破壊された。天主堂には、鐘を吊るした2本の塔=鐘楼があった。このうち、正面から見て左側の塔は、原爆の爆風によって、天主堂が建っている丘の下に落下した。その鐘楼が横倒しになったまま保存されている。この重さのものが吹き飛ばされたことに驚く。原爆の爆風の強さを教えてくれる。人間だったら、ひとたまりもないことが実感できる。吊るされていた鐘はひしゃげて使えなくなり、今は浦上教会の信徒会館にある原爆遺物資料館に展示されている。2本の鐘楼に吊るされていた鐘は大小あって、壊れたのは小さいほうだった。もうひとつの右側の塔も倒れた。しかし、落下したところが丘の上だったため、衝撃は少なく、鐘はそのまま使えた。このため、再建された浦上天主堂でも、右側の鐘楼に吊るされ、今も時を告げている。これが長崎の鐘だ。
浦上天主堂の敷地内に流れる川の土手に、旧天主堂双塔ドーム型鐘楼の片方が半分埋もれています。原爆投下後、倒壊し川の流れを塞ぎました。信徒たちが取り除こうとしましたが、そのまま残し、川を移動して現在の状態になっています。アンジェラスの鐘(天使の鐘)はほぼ無傷で残ったため、再建された天主堂双塔に取り付け、今でも平和の象徴としてその音を街中に響かせています。平成28年10月3日に国の史跡として指定されました。
旧浦上天主堂の鐘楼です。長崎に投下された原爆により当時あった浦上天主堂は焼け落ちましたが、一部が形を残していました。こちらは、当時のまま残された遺構です。余計な形容は必要ないでしょう。是非、現地を見ていただきたいです。それで全てが伝わると思います。
| 名前 |
旧浦上天主堂 鐘楼 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
095-844-1777 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://nagasakipeace.jp/japanese/map/zone_tenshudo/urakami_tenshudo.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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爆風の影響で、天主堂から飛ばされ崩れ落ちた約50tの鐘楼。備忘録としてこちら記載します。天主堂に登る階段脇に『中里橋』の親柱が遺されている。現在でも架け替えられた中里橋は存在しているが、浦上山里村の中野郷と里郷の間に架かる橋として命名されたと勝手に解釈している。天主堂が建っているこの場所は、元々浦上山里村の庄屋屋敷でその石垣が残っている。大友家旧家臣が、長崎に移住して浦上山里村庄屋に取り立てられ、初代庄屋の「菊池蒲三郎正重」は、移住後に姓を「高谷」に改めた。